アットタウンWEBマガジン

日本人であることの喜びを再認識した

美風盆栽会の展示会


少し前に、外国人が盆栽にあこがれ、日本で盆栽体験をしたテレビ番組があった。
ずいぶん日本を研究していて、日本の文化が好きで盆栽を学びたいと思った外国人。
その時は「う~ん、すごいな、日本人でもこれほど学べないよ」と思った。

やはり私は日本人、10月19日から27日まで開かれた「美風盆栽展」で大森博文さん(津山市)に話を聞いて改めてこの国に生まれた喜びを感じずにはいられなかった。



日本人の美とは?

日本人の感じる「美」とは何だろう。この国の空気を吸い風を感じ過ごした年月、四季折々のやさしさ、厳しさ。
日本家屋で過ごすやすらぎ。
そのほかにもいろいろあるだろうが四季があることが日本人にとって必須の「美」だろうと思う。
そう感じたのは盆栽が育つ環境や観賞の仕方などを大森さんから聞いたからだ。 

「盆栽は鉢の中で育つ年数、自然のエネルギーなどを身近に感じる事が出来ます。本来の自然の姿を四季折々に楽しみ季節を先取りする楽しみがあります。こんな小さな鉢の中で油かすなどに助けてもらいながら微生物によって育ちます」おおよそ盆栽は屋外で育て、屋内で観賞するものだという。
「太陽の下で光合成も必要で、外で育て、部屋の中の床の間や玄関などで観賞するのが基本。
屏風の前などに飾るのが本来の飾り方です」厳しく育て美しく育てる事は子育てにも相通じる部分があるし、昔からの子どものしつけに通じるのではないかと感じたのだが。




難しいが楽しい

屋久島野菊を出品していた美作市の道広清子さんは「色々難しいです。水やりを忘れてしまったりして台無しにしたこともあります。」もう10年以上前から盆栽に興味があり盆栽展のたびに見に行っていたが、同会に入って4年目。
「屋久島野菊に関しては、間引きに気を使います、葉っぱや茎が茶色になったものや花が多すぎるのが気にかかり、難しいけれどとても楽しいです」と笑顔で話を聞かせてくれた。




気づかいのある水石

驚いたのは杉本忠義さんの「水石」と「石付セッコク」だった。水石は盆栽?木や草花がないではないか。
これって盆栽?ということで杉元さんにお話しを聞く「水石の水盤は伊万里焼で江戸時代のもの。
敷き詰めた砂は鞍馬砂で京都市北部の鞍馬産出のもの。上には石、鳥居と朱の橋を置きました」う~ん私にはまだわからないなあ。「これはおもてなしの心です」と杉本さん。

例えば客として私が杉本さん宅を訪問したとしよう。
杉本さんがお茶など入れてくれる時間、私は客間で独りぼっちだ。
話す人もいないし退屈な時間を過ごすかもしれない。杉本さんは水の入った如雨露を持ってきて水石に雨のように水をまいた。
あらあら風景が変わっていくではないか。それが刻一刻姿を変えるのだ。
それが「妙」「おもてなし」だという。なるほど同じように「石付セッコク」では小さな橋のどこかに鯉がかくれていますよ。
それを探す楽しみ、言葉にならないおもてなしなのかもしれない。




堂々と年数を重ねる

中島壮太さんの「えぞ松」を見た。大きくて傾き具合も気持ちがいい。
古木の持つ色合いの渋さにうっとり。そばに1980年当時、約40年前の同じ木の写真があった。
年月を経たものだけが放つ堂々とした盆栽がそこにあった。圧倒された。

同時に淡交会津山支部のお抹茶とお菓子をいただいた。ほんのりゆずの香りがするお饅頭(桐襲)とお抹茶をいただきながらゆっくりできた。




日本人で良かった、海外の人たちのにわか盆栽ファンに見せたいほど誇らしいもの、知ってほしいもの、本物を見せてあげたい。
本当に日本に生まれてよかったと心から思うことのできる展示会だった「盆栽は和、調和を求めます。一定のルールはあるけれど許容範囲で認めるという懐が広いところもあると思います」大森さんは一つ一つ丁寧だった。
それも日本人。

美風盆栽会では随時会員を募っている。

関連する情報

人気記事

新着記事