作州絣保存会会長 日名川さんに聞く
近年、伝統工芸品として、秘かに全国から注目を集めている作州絣。その作州絣保存会会長である日名川茂美さんにお話を伺った。その前に、まずは絣について読者のみなさんに知ってもらいたい。
絣といえば、古風などと感じてしまうかもしれないが、実はジャパニーズデニムは絣の技を基本に作られている。ブルージーンズは、海外でジャパンブルーと呼ばれる藍染の技術だ。糸も絣の木綿紡績そのままの技術で、織布も絣織の基本技術をもとに機械化されている。
では、そもそも絣とはどういったものなのか。基本的には、先染めの織物全般を指すもので、括りと呼ばれる織糸を縛る糸で括り染め分けをし、織りによって柄を出す生地のことをいう。
今回取り上げる作州絣は、明治の中頃、倉吉から嫁いできた娘が絣の技術を伝えたと言われ、木綿絣の藍染をベースに、括りを入れて染残した白色とで2色柄のイメージだ。
他の産地との最大の違いは、図案から織りあがるまでの工程を、一人の織り手が行うことだそうだ。
これは、作州絣が各家庭で自家用として織られていた歴史から見て必然なのであろう。
絣は手間がかかる。紡ぐ、種糸づくり、整径、括り、管まき、機上げと工程が続き、織りあがりまでには、20工程ほどある。ひとりで、こなすとなれば技術の習得だけでも大変だ。
作州絣は、戦後の産業復興の為、岡山県工業試験場津山分場が開設され、製作された絣に「作州絣」と命名し販売された。年間3万反から5万反という生産にこぎつけたが、大量生産に成功した備後・伊予・久留米に押され、衰退し技術を伝えるのみになってしまった。
それゆえに、全国的に見ても貴重な存在となっている。
一度途絶えた技術を、復活させるのは大変だったという。
先代の岡山県郷土伝統的工芸品製造者の杉原博さんが亡くなり、技術を伝えていける人はいなくなった。そして、一旦、作州絣の技術の伝承が途絶える。
そんな中、杉原さんの遺族から残った作州絣の反物の販売委託を受けることになった日名川さん。
最初は「どうしよう」と販売は素人の日名川さんは不安だらけで、とても苦労をした。
しかし、反物を見ているうちに、「絣の魅力に惹かれ技術の習得への思いが募った」そうだ。
絣の産地に出かけて、歴史や特徴、技法を研修させてもらったが、3大産地はどこも分業の為すべての工程を習得するのは無理と断念をした。作州絣の原点は家族のために自家用として織りあげていた絣であるため最初から織り上げるまでを一人で行う技術の習得は不可能だった。
そんな中、山陰の絣を巡る中で鳥取短期大学の絣研究室に出会うことができた。2度目の学生生活が始まった。
それから、約4年問倉吉まで通い、貪欲に学び、基礎技術を習得し、復元に至った。その後、先代の杉原博氏のご家族から継続製造者として認めて頂き、杉原博から日名川茂美に登録名が書き換わった。
「責任は重大だ」日名川さんは、そこで作州絣を育てる会を保存会に改名し作州絣を残す為に織り人養成講座を立ち上げた。
今では、城西の作州民芸館の斜向かいにある作州絣工芸館を拠点に、保存会会員35名前後が所属し運営するまでに至っている。
会員は、岡山県南や広鳥県北などの遠方にも大勢いる。
作州絣工芸館には、高機が10台並び体験や商品づくりとして活動をしている。糸の巻き取りなどができる広いスペースがないため、工夫をしながらの作業方法を自分たちで考え工夫している。
そんな精神が、新たな進化と繋がっていく。
昔ながらの作州絣の特徴でもある、太い糸を使った太織りで2色柄を守ると同時に、細い糸を使い色数を増やしたり、複雑な紋様に織り込んだりなど、顧客ニーズに対し、他産地とは違う「ふるさとの心織り込む作州絣」として作州絣を模索しているという。
細い糸を使って織ることで、生地に軽さと柔らかさか生まれる。これが着物にした際に着やすさにつながる。
草木染で染めた、朱色や浅葱色の色糸を入れ、紋様を変えるなど華やかさを加えることもしている。
技術の継承も順調で、年内には、岡山県郷土伝統的工芸品を織る製造者としての作州絣保存会認定を受ける会員が、いるというから頼もしい。
今後も認定される会員が増え、イベントや学校、地域に出向き伝承継承をしながら、作州絣の文化を語り継ぎ次の後世に残していきたいと願い活動をしている。
そうした活動の一環で、泰安寺さんから依頼で、三葉葵のデザインでのテーブルクロスを織りあげた。
もう一つの柱として掲げている品質の良い精巧な織物を目指した商品としての逸品だ。作州絣が更なる観光産業ビジネスベースとして成立するまでを、目標に頑張っている。ワークショップ、織体験、絣を使った小物の作成販売のみならず、反物の販売や着物としての販売などを目指したい。「できれば全国の百貞店で、海外で、絣ジャパンブルー着物を販売できるまでに成長したい」
そう目標を語ってくれた。