津山市昭和町にアトリエを構える彫刻家
武藤順九さん
『順九さんの寺子屋』聞いたことがある方もいると思う。今回紹介するのは、その寺子屋で教科書に取り上げられることが決まった、芸術家の武藤順九さんだ。
まず、『順九さんの寺子屋』を知らない人のために、活動内容を説明しておく。
約6メートルの巻紙に葉っぱの一生というテーマで、思うがまま自由に墨で絵を描いていくというもの。
子どもの創造力と自主性を育てるとともに、墨の濃淡を使った日本独自の表現を感じるためのプログラムとなっている。
順九さんの本拠地は実は津山でなくイタリアのローマ。30年来ずっとローマを拠点に芸術活動をしているのだ。
津山は奥さんの実家があったという縁で、3年前、昭和町にアトリエを作ったということ、日本にいた時にコロナ禍となり、ローマに帰ることが出来なくなり、津山で活動している。
「故郷は遠きにありて思うもの」というが、日本を離れ欧州はローマの地で、長く活動するからこそ見える日本がある。
ローマでも、多種多様な国の芸術家が集まっている。その中で、必ず起こるのがお国自慢だという。
そのお国自慢をする中で、日本人は墨の濃淡で表現された精神文化の中にいるということを実感してきたのだ。
それが、今の日本では墨汁が主流となっている。硯も石ではなく、プラスッチック製で墨をすることもできない。墨はススとニカワを混ぜて固めたもの、ニカワは接着剤なのだ。墨汁は固める必要がないためニカワをを含まない。そのため水で薄め手紙に書くと滲んでしまう。墨汁では濃淡が表現できないのだ。
また文字など書いたモノには、人格が出るとも。
欧州などの絵画へ胸を張れる、その日本独自の表現方法を守り続けることが重要だ。
順九さんは墨汁を使う教育は、「自らの文化を壊している」という。
これでは、日本人の感性の継承が出来ない。今の日本に失われている「墨の濃淡の文化を子どもたちに知ってもらう」そんなことで始まったのが、順九さんの寺子屋の巻紙になる。
子どもたちには、何も言わないが「心のおならをしなさい」とだけ言っている。心のおならは、身体にたまったガスをおならが出すのと同じように、大人こども関係なく、ストレスの多い社会の中で、心の中にたまったガスを出して、しっかりリフレッシュしなさいという意味なのだ。
また、他にもこの巻紙に繋がるストーリーがある。
順九さんは宮城県の出身なのだ。生まれ育った場所の近くにある、石巻市(雄勝地区)が全国最大の硯石の産地なのだ。
女川原発のすぐ北側の地区で海岸線に位置するため、東北の震災で壊滅的な被害を受けたのだという。津波により街は洗われ、想像を絶する大変な被害だったが、住民は復興に向け動き出す。
震災前より硯の需要が減り衰退産業だった硯製造だったこともあり、硯業界はコストのかかる再建が見えてこない。そんな中で声がかかったのが順九さんだ。
それ以来ずっと、硯の生産量を増やすには、どのようにして多くの人に使ってもらうかということを考えていたという。
まずは、“復興と造形教育”をコンセプトに武藤順九氏が発案した「MY SUZURI(マイ硯)」運動を思いつき始めたのだそうだ。
MY SUZURIとは、職人さんの協力の元、自分でデザインした硯を作るというもの。
この取り組みの延長線と、感性と自主性を育てる。この両方が結びついたのが、今回紹介した『順九さんの寺子屋』なのだ。
今、城西浪漫館(旧中島病院跡)で、『順九さんの小さな素敵な展覧会』と銘打った展覧会が開催されている。
津山では、3月末から3週間「ポート&デザイン津山」で開催された展示会に続いて2度目となる。
今回の展示会は単なる展示会ではなく、半分は今回紹介した活動の報告会のような意味合いも持たせているのだそうだ。来場者がメッセージを残す場所も用意してある。
できれば、年2回くらいは、このような展覧会を開催したいという希望もあるという。
全国から知り合いが来ることで、津山のPRとしても少しは貢献できるのではないかとも考えている。
順九さんは、将来的にこの津山を、全国に向けて感性教育を発信するための、モデル地区にしたいというのが最終的な目標だそうだ。
これは、子どもたちに限らず大人でも年齢性別を問わず、生涯学習として全ての人が対象だ。
今回の取材で、順九さんの「皆が一緒に、遊ぶ感覚で楽しむことで感性を育てる」というコンセプトが、日本中に『順九さんの寺子屋』として定着している姿が見えてきそうだ。
順九さんには、いつまでも元気をで活動を続けて欲しい、そしてその発信源が、この津山であることを誇りに思いたい。
(画像提供:風の環)