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作州絣工芸館

津山の城西地区西今町、扇橋の西に建つ作州工芸館の斜め向かいの町家が「作州絣工芸館」になります。
「作州絣工芸館」2014年に築100年の町家を改造して開館し、周辺は城西地区の雰囲気と相まって情緒ある空間になってます。



中に入ると、昔ながらの織機、紡ぎ機、などが並んでおり、機織り実演や糸紡ぎ実演なども見学でき、反物や小物の販売も行っています。

特に最近は和ブームにのり、絣模様が「お洒落だね」など話題で観光客や若い女性などに、密かな人気となっています。




作州絣

作州絣は、太めの木綿糸を使用して織り上げられた素朴な織物で丈夫等の理由で庶民の生地として津山などで急速に広まりました。
伝統の技術を受け継ぎ、藍と白だけを使って織る模様は、古風で単純化された文様美を織りなしています。



作州絣の起源ですが、古くから今の津山市桑上、桑下・綾部・加茂町桑原美咲町を苫田郡加茂町桑原などで高級絹織物が盛んだったと言われています。
その後、棉の栽培が始り、17世紀の初め頃絹織物から庶民を対象とした綿織物にシフトしていったとのことですが、この頃は絣ではなく、紺木綿や縞木綿が主流でした。
20世紀になる頃に倉吉から絣技術が伝わり絣織物が盛んになったとされています。
しかし、作州絣は産業用には織られていなかったためコストも割高であり、いち早く大量生産に成功し当時の絣全国シェア7割を超えていた備後絣に押され、僅かに技術を伝える程度になってしまいました。
 
その後、戦後の産業振興において振興品目に選ばれ、僅かに残っていた技術を復元し量産態勢を整えられ「作州絣」として市販されることとなりました。
一時は、3万反まで生産量を伸ばしましたが、備後絣には太刀打ちできず再び生産数量も落ち込み、遂には杉原博経営の「大一織物」一軒となりました。



以降も杉原家により作州絣の技術が伝えられ、1981年(昭和56年)に杉原博作・手織作州絣は岡山県郷土伝統的工芸品に指定されました。

近年となり、杉原家と縁のあった日名川茂美が手織り作州絣認定後継者として認定され、再び作州絣が復活することとなります。



その後「作州絣保存会」が立ち上げられ、作州工芸館開館にこぎつけることになります。
現在も、作州紬は一つ一つ丁寧な手仕事で作られているため、一反を織り終わるのに半年以上かかるそうです。
「作州絣保存会」が中心となって、技術の伝承と後継者育成に取り組んでいます。


所在地: 津山市西今町77
電話: 0868-23-0811

(ライティング:星護 禄胤)

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