室町の時代、足利幕府八代将軍『足利義政』の御代に栄えた文化が東山文化と呼ばれています。政治に興味を持たず、応仁の乱を引き起こし、戦いが絶えない戦国の時代を引き起こした張本人とされている将軍ですが、文化面で見ると、名君との評価が高い将軍です。
この時代は、後土御門天皇の円熟期でもあり、ともに文化に造詣の深かった二人によって、現在まで伝わる日本文化の基礎が形成されていったのです。
代表的なものとして、水墨画、茶道の元になった『わび茶』、能、華道、香道などが挙げられます。また、歌会が最も盛んに行われたのも、この時期です。
東山山荘を中心として、上流階級の文化交流が盛んとなり、公家文化と武家文化が融合したものに、禅宗の文化を取り込まれたものと云われてれています。
この時代は、建築や造園でも現在に大きな影響を与えています。和室の原型とされる書院造りや、日本庭園に発展していく山水や枯山水の庭などもそうです。また茶室の原型が作られたのも、この時代となります。
このように、様々な分野で日本文化の原型が出来上がった時代だということが、よく分かると思います。
そして、和歌、短歌などの、やまと歌でも、この時期に大きな変化が起こります。
和歌の遊び方として、連歌、鎖連歌が生まれたのです。そして、この連歌の発句部分(最初の五七五)が、後の皆さんのよく知っている俳句に、変化していくこととなります。
この連歌、鎖連歌について簡単に説明します。
連歌は最初の「五七五」を発句として詠み、それに「七七」で返事の句を詠む、和歌のことです。五七七と五七七の片歌による問答を繰り返す旋頭歌と似ています。
しかし、連歌は発句と返句を合わせて、一首の歌となる必要がある上に、季語を詠み込むことと切字を入れ、発句のみでも独立した風格を持った歌であることが必要とされています。これまで読んでもらっても分かるように、この発句部分が文学として、そのまま独立したのが俳句なのです。文学において、芸術性の極致とされるのが、この連歌といわれています。
このような上流文化とは別に、庶民文化も栄えたのが、この時代の特徴でもあります。
今でいう短編小説のような御伽草子や、庶民の生活を題材にした狂言などが流行し、上流階級でない庶民が力を持ちはじめたことが分かります。
また宗教では、それまで延暦寺の末寺でしかなかった本願寺が、蓮如の登場で、庶民の間で講を組織し、爆発的に勢力を拡大したのもこの時代です。