山号を真木山といい、寺伝によれば、757年に孝謙天皇の勅願により鑑真が開基したとされています。
長福寺の起源について、伝に頼るのみで信頼できる記録はなく、鎌倉時代の1285年円源が天台宗の寺院として建立・再興されたのが、信憑性のある記録として最も古いものです。
元々は真木山の山頂に建立されたものですが、荒廃が進み昭和になって山麓の今の場所に移築されてきたそうです。
離れた距離から長福寺方面を見ると朱に塗られた三重塔が緑に良く映え、美しい山里の風景を引き立てててくれています。
この三重塔、山麓のやや高いところに建ち22mの塔高と相まって、集落のどこからでも見ることができ、角度により様々な表情を見せてくれます。
長福寺には車で行くのが便利で、門前に15台の駐車スペースが完備されています。
車を降りて境内に向かうと鐘楼門が迎えてくれます。
その鐘楼門の左手には池があり、池の中には四本の柱に支えられた弁天堂が建立されています。
一間一戸の緑青葺きの門をくぐると広々とした境内が広がり、正面に国指定重要文化財の十一面観音立像が安置されている本堂が、左手には太子堂や宝物殿などが建ち並んでます。
さて、お目当ての国重要文化材に指定されている三重塔は境外にあります。
一度、鐘楼門を出て左正面に朱塗りの美しい三重塔を見ることができます。
階段を上り近づいてみる。
細部の造りは、肘木や尾垂木が短めで連子窓なども繊細になっており女性的な印象の塔に感じます。
屋根材も、瓦葺ではなくこけら葺きの屋根材も「しっとり」とした雰囲気に見え、より女性っぽさが強調されているようです。
離れて見ても美しく、近くで見ても見ごたえがあります。
三重塔は鎌倉時代の1285年に大工棟梁・藤原国右衛門尉によって建立されたとが分かっています。
以降、1624年 - 1643年(寛永年間)、1823年(文政6年)に大修理が、明治末期にも部分的修理が行われているきろくがあります。
1921年には、古社寺保存法に基づく特別保護建造物に1950年に文化財保護法の施行により重要文化財となっています。
戦後まもなく、鎮守堂などと共に真木山上から現在地に移築され、近年の1980年に保存修理が完了しました。
長福寺が、真木山の山頂にあった時代には、最盛期で僧坊は65坊を数えたと伝わっており、江戸時代に入るころは40坊、江戸時代も中期になると25坊と減少が続き明治になる頃には4坊までになりました。
明治9年(1876年)火災により、奥の院を残し焼亡し、1か寺のみ焼け残ったのが長福寺です。
その後、荒廃が進み前筆したように昭和になり山麓に移転することとなります。
真紀木全体や愛宕山は遊歩道(中国自然歩道)として整備され、長福寺から徒歩約5分程度のところにある「山千早の滝(ちはやのたき)」など見どころが満載となっています。
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(ライティング:星護 禄胤)