アットタウンWEBマガジン

吉井川にぽっこりと出ている

津山から美咲町吉ヶ原方面に向かう県道26号、津山市押渕にある山王大権現。
その昔吉井川の浸食作用が山の軟弱な部分を押し流して、岩の部分が残った。その部分が今、吉井川のそばにポッコリと出ている感じで、 松や雑木などが生い茂っている。




よく整備された長い階段を上がっていく。
くねくね曲った急な階段で手すりもある。上がった先には立派な石の鳥居と小さな祠が祀られ、地域の人たちに大切にされており、毎月総代の人たちが清掃しているという。
(地元神渕町内会で神社総代長の日下英彦さん談)
守護神は、山王大権現で崇拝者に教えを広めて人々を救う神様。
御祭神は大山咋命(山王大権現)。霊験としては山や水を治める神で諸病平癒におかげがあるという。
とくに下の諸病に効くとされている。




戦国時代、津山藩森家時代には交通の要衝
戦国時代、荒神山城主の花房職之はここから物資を備前岡山宇喜多家に運んでいた。
また森忠政が津山に築城し吉井川を物資流通の大動脈としていた頃には吉井川の往来時の休憩場所にもされており、渕神社と言われ船頭たちが一息ついた。



思い出を話してくれる金谷さん
津山市荒神山在住で郷土史に造詣の深い金谷琢美さんは「第二次大戦末期、お国のために食糧増産が叫ばれていた頃、私は小学生で学校で2時間勉強したのち大権現近くの空き地を開墾しサツマイモを植えたが、昭和20年終戦の年の8月に大水害があり、その時にサツマイモ畑や道が流され山王様は島になりました。
その後55年間川中山王でしたが、今はまた道と山王さまはくっついています」と吉井川の清流の中にあった山王様を話してくれた。




津山市街地から約10分で行ける。
祠まで上がって見下ろす吉井川の清流は清らかで、近くの山々の緑は絶景だ。近くには福南公民館もある、山王様のすぐ下には車が1台ほど置けるスペースもある。
(取材ライティング・武本明波)




山王様のはやりうた(里謡)は、権現様の化身の猿が登場して興味深い。



◆山王様の里謡(はやり歌)
三王様の下り松に猿が三匹とまつて
先きの猿も物知らず、後の猿も物知らず
中の小猿がようもの知っとて
なまづ川へ飛び込んでなまず一匹おさえて
かわらけですくうて、とうすみでゆわえて
せんこでかたいで
塩谷へ持つて行つて塩を付けて食ふたらば
あんまりかろうて、水三杯、茶三杯のんだらば
六杯腹がふくれて
向ふの藪へ行つて、屁を、ふんとこいたらば
向ふのおじいさんが
鉄砲かと思ふておびえた

関連する情報

人気記事

新着記事