今少し咲くを待てぬか白梅よ
探梅爺は寒さが大敵
白井 真澄
●この短歌に出合って一瞬驚いた。今まで梅の咲くのを待ちわびた歌は多く見てきたが、この短歌のように「今少し咲くを待てぬか」と、白梅にもう少し温かくなるまで咲くのを待ってくれ。と語りかけている歌は初めて目にするように思う。
下の句に「探梅爺」と詠まれているので、梅を愛でる風流人であるが歳を重ねてこの頃とみに寒さが身に染みるようになってきた。梅の花を待ちわびているのだが、もう少し温かくなるのを待って咲いてくれれば、梅見に行くのが温かくて良いのになと、寒の明けるのを待たずに咲き始めた白梅は嬉しくも有るが、少し待って欲しかったとこぼしてみたくもなっているのである。(苦笑い)
短歌を詠もうとする人は、つい美しい梅や桜の花そのものを表現しようとする事が多く、特に梅は春を連れ来る花として少しでも早く咲くのを待つ歌が多いのだが、この作者は視点を変え「逆転の発想」で詠んでいる。いつも作歌力に驚かされる。
終戦後原爆投下に荒れ果てた
広島の街の線路を歩く
萬代 民子
●昭和二十年の終戦から既に七十八年が経過し、掲載歌の現実を体験された方の多くは鬼籍に入られ、原爆投下で一瞬にして焼け野原となった当時の広島の街を、十歳足らずだったと聞くが、実際に歩かれた作者は大変貴重な語り部である。
大戦前は家族と大陸で暮らしていた作者は、日本が敗戦国となった途端に危険な目に遭い始め、ほうほうの体で脱出し両親に連れられ日本に着いたのが広島の港だったそうだ。筆者も子供の頃は当時の「大陸からの引揚げ者ら」が命辛がらで帰国した話しなど、多く耳にしその過酷な体験は想像を絶するものだったと思っていた。
逃げ帰った日本の地でも修羅場のような広島の街を、当時幼かった作者は電車も走らない線路の上をとぼとぼと歩いたのだ。やっとの思いで日本に帰れた安堵感と廃墟と化した広島の街が彼女の目にどのように映っていたのか。作者はその後結婚され立派に三人の娘さんを育てあげられ、現在は趣味で短歌を詠まれている。
八人と一匹増えたお正月
炊事せんたく買い物三昧
河原 弘子
●世の中がコロナ禍になり、盆・正月に家族が揃うことも難しくなっていたのだが、三年経過したこの頃ワクチン予防接種の浸透や、マスクの使用が常態化したことなどから、人流の自粛が少しずつ緩和されやっと自由に故郷への帰省が叶いだした。
作者も普段はご主人と二人だけの生活なのだが、正月休みになって都会で暮らしていた子供や孫たちが帰省してきて、一度に大家族の賑わいがやってきたのだ。
「八人と一匹増えたお正月」と、上の句で端的に数を詠み込むことによって、読む人に状況がそのまま伝わるし特に、ここでは一匹が犬なのか猫なのか分からないが、家族の一員としてそのペットがみんなから愛されている事が伝わってくる。
下の句の「炊事せんたく買い物三昧」で、作者がてんてこ舞いしながらもその久し振りの忙しさを、どこか嬉しがっている様子が伺えて微笑ましい。帰ってしまうと淋しいが、ああ疲れたと「来て嬉し帰って嬉し孫の世話」なのかもしれない。
初孫の仕種と笑顔飽きもせず
微笑みながらスマホ眺める
田野 孝明
●孫は、子より可愛いとは世間一般よく言われている事であるが、就中(なかんづく)初孫となれば殊更である。この一首初めて孫を持たれたほぼ全員の方が、ーそうだよなあーと同感されるのではないだろうか。
作者は地域の住民の安心安全や経済・文化の保全発展のために尽力され、多忙な毎日を送られている中、我国の古典文学である短歌も勉強され、時折詠まれている。
掲載歌は、短歌の基本である極力直喩(直接的比喩)つまり嬉しい、辛い悲しいを表記しないで、事実表現だけで読み手に作者の感情を伝える技法をキチンと守られている。
つい、孫が可愛いとか顔を見ると嬉しくてたまらないとか書いてしまうのだが、自分の気持ちを抑えつつ「仕種と笑顔飽きもせず」と他人が見ればよくもまあと呆れられるだろうと思いながらも、結句「スマホ眺める」と待ち受け画面をついつい開いて見てしまう。
好好爺振りが満ち溢れた微笑ましい家族詠である。
今月の短歌
積雪(ゆき)の果て
黒土擡(もた)ぐ
水仙の
花ほころびし
潦(にわたずみ)の傍(はた)
矢野康史さん プロフィール
あさかげ短歌会津山支社代表。全国あさかげ短歌会代表。津山市西苫田公民館と一宮公民館の2カ所で短歌教室を指導している。津山市文化協会副会長。