@歌壇
短歌への誘ひ
あしひきの山のしづくと滴るを
朝(あした)の露で錦と変へる
千葉 二朗
●有名な大津(おおつの)皇子(おうじ)の「あしひきの山の滴(しずく)に妹(いも)待つと我立ち濡れぬ山の滴に」万葉集二巻一〇七 石川郎女(いしかわのいらつめ)に贈る相聞歌の本歌取りをされた一首である。
あしひきのは「山」にかかる枕詞。(山の中にあなたを待って立ち続けて、山の夜露の滴にすっかり濡れてしまったよ、山の滴に)という意味で、今風に言えば石川郎女に宛てたラブレターである。筆者宅の本棚に黒岩重吾の『天翔る白日』小説大津皇子があり、随分若い頃に買い求めて読んだ記憶が蘇ってきた。
文武に優れ多くの信望を集めていたプリンスであったが故に、叔母の鵜野讃良(うののさらら)(後の持統天皇)の妬みをかい草壁皇子への謀反の疑いを掛けられ二十四歳という若さで非業の死を遂げた。 この「山のしづく」は大津皇子への哀切の涙か?
この歌の作者は、勿論知識も豊富で薄幸のプリンスを偲びつつ、山の滴に濡れる木々の葉がこの頃の早朝の冷え込みの露で紅葉していくと詠われて味わい深い。
土砂降りのスクランブルの交差点
右往左往す渋谷の金魚
田上 久美子
●前出の短歌と並べて掲載させて頂いたが、「あしひきの」歌はまさに和歌の真髄、しかも本歌取りという古来からの手法を採られた短歌だが、この「土砂降りの」の短歌は真逆の妙、現代短歌の見本のような表現方法を用いた歌である。
この二つの短歌を並列することにより現在の短歌界(旧来の文語調旧仮名短歌と、口語調新仮名の現代短歌の混在)の複雑ではあるが、それぞれの特徴の良い部分をどちらも活かし勉強することで、より巾の広い奥行きのある短歌を生みだせるのではないかと、筆者は前向きに捉えている。どちらの短歌にもリスペクトすべき点を、受け容れることで拘泥(こうでい)や固定観念を取り払えると思う。この歌は実際の写生詠であるのだが、筆者は土砂降りのスクランブル交差点を右往左往しているのが今の我々かもしれぬと。作者はその状態を「渋谷の金魚」と表現した。不謹慎とお叱りを受ける心配もあるが、この擬人化表現こそ現代風の切り取りで秀歌と評価したい。
青い空ふと見上げたら思い出す
旅立つ時の胸の高鳴り
小川 壮寛(たけひろ)
●作者が短歌を詠んだ最初の歌である。彼の記念すべき第一詠としてこのページに掲載させて頂いたのだが、詠草を受け取った時筆者は、何と真っ直ぐな感性を持った人だろうと思った。短歌にはそれを詠む人のそれぞれの個性が良くも悪くも影響してしまう。そこが短歌の面白い部分であり、少し怖い部分でもある。
作者は私のほぼ息子世代の、久し振りに迎える我が短歌会では若手のホープで、今後大きく育って欲しいと期待が膨らむばかりである。
短歌は初心者ほど一首の中に沢山の「言いたいこと」を詰め込もうとてんこ盛りにしてしまう傾向にあるのだが、この歌には下の句の「旅立つ時の胸の高鳴り」だけに作者の思いが集約されていて、非常に簡潔に表現されている。
旅立ちは、新しく始められる短歌への旅立ちか、はたまた仕事上での旅立ちか、知る由も無いが、大きな希望と少しの不安は結句で読み取れる。拍手を送りたい。
朝露を宿す庭草あまたなる
粒を被(かず)きて朝日子(あさひこ)に照る
河野 澄恵
●結句の「朝日子に照る」と頂いた詠草を見て、我があさかげ短歌会も一時「あさひこ」を名乗っていたと、ある先輩から聞かされていた事を思い出した。
「朝日子」の「こ」は親しみを表す語であり、朝日そのものを親しみを込めて呼ぶ言葉として大辞林に掲載されている。
この短歌も、朝の庭で見た美しい景色を端的に、朝露が草々の先に結んだ沢山の水滴に、キラリと朝日が照らした瞬間を捉えて歌にした写生詠であり、まさに短歌の真骨頂というべき歌である。短歌では一首の中に同じ字が重なって使われない方が良いとか、様々な制約めいた指導をされる事があるが、この歌の場合「朝露」は露と結びついた熟語であるし、「朝日子」も同様な熟語としてどちらも省略出来ないし、この場合他に代わる言葉をあてるとこの歌の真を外してしまうと筆者は考えこのまま頂いた。本来短歌は字数の定型以外はあまり制約を設けない方が、伸びやかで自由な表現ができ、広がりの有る短歌が生まれると信じている。
今月の短歌
午後の陽に
金木犀(きんもくせい)の
薫(かお)りたち
祭り準備の
掛け声弾む
矢野 康史
矢野康史さん プロフィール
あさかげ短歌会津山支社代表。全国あさかげ短歌会代表。津山市西苫田公民館と一宮公民館の2カ所で短歌教室を指導している。津山市文化協会副会長。
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