津山城下町・椿高下
今回は津山城下町の北西端に位置する椿高下の町の歴史について見てみたい。
この町の歴史は一番古くは弥生時代に遡る。
津山高校新校舎建設に伴う発掘調査で当時期の竪穴住居が数軒発見されている。
その後の5世紀末頃には津山高校本館の裏に全長60mほどの前方後円墳である十六夜山古墳が築造される。
当時としては美作地域では最大規模のものであり、なぜこの地にこれ程の規模のものが造られたのか興味あるところである。
このように以前から何らかの人の営みがあったことが解明されており、立地的にも眺望のきく絶好の場所であり人が生活・活動するには適していたと思われる。
江戸時代には城下町の武家屋敷地として整備され、主に中級クラスの武士が居住するエリアとされた。
現在の町並みを見ると、要所にその当時の痕跡を見ることができる。
中通りには武家屋敷が残されおり、それに伴う石垣、土塀、門などの遺構が当時の名残を感じさせてくれる。
市内でも特に江戸時代の景観がよく残されている界隈として貴重である。
近代・明治時代になると旧制津山中学校本館が当地区に建造される。
明治32(1900)年・今年2020年で築120年を迎えたイタリアルネサンス様式をとる重厚な洋風建築物で国指定の重要文化財である。
このように現代の私たちが日々生活する中でも、かつての名残が数多く見られる当地域なのである。
(赤坂健太郎)