今回ご紹介するのは一枚の古い写真である。写真絵葉書と呼ばれるもので明治時代末から戦前に全国的に流行した。
津山市街・吉井川を隔てた鶴山公園を写したものである。その周囲の様子も詳細に解り資料的価値も高いと思われ、ここに検討しながらこの古写真を見てみたいと思う。
撮影された時期は、写っているものの状況などから見て明治時代の終わり頃から大正時代にかけてのものと思われる。撮影した場所であるが、写真に大きく吉井川が左右に写り、その向こうに鶴山公園が写っていることから、対岸の横山地区、作陽高校から西へ下った辺りから撮ったものと思われる。
写真中央には津山城跡・鶴山公園が見える。桜はまだないようであり松が多く茂っている。
その中には現存している鶴山館の大屋根が見える。
その手前の建物が密集しているのは城下町の一つ、材木町にあたる。松並木が一直線に並んでいるのが見える。かつてはこの周辺の宮川と吉井川沿いには松並木があって情緒のある津山の名所の一つであった。
更に手前の川岸にはよく見ると、大量の何か長細いものが整然と置かれているのが確認できる。どうも木材のようである。資材置き場として使用されていたのだろうか。
詳しく見てみるといろいろな発見がある。何気ない一枚の写真であろうが、撮影者はどんな思いがあってこういった情景を撮影したのか。何か意図があるのか。そんなことに思いを寄せながらの一筆であった。
(あかけんの歴史よもやま話終わり)