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ありし日の鍛冶職人の心意気を伝える宗道神社

森忠政公は幕府から美作国の国主に任じられ、津山に入る際美濃の国から刀匠・景兼長右衛門を統領とする一門を連れ、城下のほぼ中央にある地に鍛冶町をつくり彼らはそこで生活することになりその地を「鍛冶町」と名付けた。
宗道神社ははじめ、鶴山(津山城)の南庭にあったが祠は長いこと放置され梨の木が一株あるだけだった。
その梨の木、築城・築山のため掘り起こしたときに一匹の青蛇がとぐろを巻き動ずる様子もなかった。
忠政は直ちに梨の木を山北・八子八幡神社の境内に移し祀ったといういわれがある、慶長8年(1603)に森氏が入封してからの宗道(若宮)神社の歴史である。
その後宝暦9年(1759)に森氏が美作国を離れたのちに神社は今の地に移され宗道神社となった。


宗道神社は鍛冶町の人家の裏にあったが明和6年(1769)に敷地が拡げられ参道を整備、神門や鳥居を建立しいまだひっそりとたたずまいを残している。
鍛冶町町内会長の国本義晴さんに神社本殿を見学させていただく。
まず本殿入り口の上に掲げられた「宗道神社の扁額」におどろく。
さすが鍛冶職人の町に祀られている神社。
鉄で作られている、鉄で作られた扁額は全国でも珍しいのではないか、また拝殿内の随神の格子も鉄製であったことは鍛冶町ならではのこと。
鍛冶町の戸数は少子化などが影響し、現在16件だという、だが夏・秋の祭りを行い、町内の寄り合いなどに利用されているというので、まさに現在でも地域の人たちの心のよりどころとなっていると言っていいだろう。


宗道神社の祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)と全国に50社しかない天目一箇神(あめのまひとつのかみ)とされる。
天目一箇神は不思議なことに『古事記』には出てこず、『日本書紀・一書』に「天目一箇神を作る金者とす」と記されているのみという消された神様だ。
少し怖い話になるがこの神は後に一目小僧(ひとつめこぞう)として妖怪化されるという伝承もある。民俗学者・柳田国男氏は一目小僧のことを下記のように記している「いずれの民族を問わず、古い信仰が新しい信仰の圧迫せられて敗退する節には、その神はみな零落して妖怪となるものである。
妖怪はいわば公認せられざる神である」。


また宗道神社の末社には津山城築城の際人柱になった女性の御霊を慰めるためにあるという、悲しい伝承もある。
(歴史監修・和仁隆明)



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