アットタウンWEBマガジン

今こそ縄文人の美意識、生活の様式を見直す

考古学者・可児通宏さん


『縄文土器の技法』を著したルーツは倭文地区

可児通宏さん(津山市里公文)は、少年時代を同市油木北で過ごした。
「中学の社会科の實成先生の影響で土器探しにはまっていました。」
変わり者で毎日のように山を歩き回っていた可児少年。
「この辺りは古墳がいっぱいで、土器や古代人の残したものを探し回っていた。」

「その当時職業としてはめずらしい学芸員という仕事に興味を持ち國學院大学でさらに考古学の魅力のとりこになりました。現在、縄文研究の第一人者で名誉教授の小林達雄先輩はまだ大学院の学生で、彼との出会いは、私の生き方に大いに影響しています。」と当時を懐かしそうに振り返る。




多摩ニュータウンの発掘調査に捧げた若き日


1964年の東京オリンピックが終わると、東京都多摩地区の多摩ニュータウンの開発が始まり、多くの遺跡がある同地区では発掘調査のために「多摩ニュータウン遺跡調査会」の調査員となった。
ニュータウンの範囲は約3000ヘクタール、開発も調査も前代未聞の規模で行われたため、当初の予想を上回る各時代の遺構・遺物が多数発見されるなど、研究者にとっては遺跡の宝庫。
当初は5年で終わるとされた遺跡調査も結局2006年までの40年間続いた。

可児さんは調査員として「好きなことをして過ごしていた、仕事が楽しくてしょうがなかった。」と笑う。
「先輩たちと独自の研究や調査方法について議論するのが楽しかったし、当時のソ連の調査方法なども参考にした」。

その当時に知り合ったのが、奥様の潤子さん。
「私は調査会の事務員をしていたのですが、一日の調査が終わったら仲間たちと研究の話しをしながらビールと簡単なつまみで議論をしているのが本当に楽しそうでした。」と振り返る。
寝ても覚めても年がら年中、縄文時代の文化や縄文人と向き合ってきたという。




出会いで紡いだ研究のみち

同調査員、東京都教育委員会、財団法人・東京都埋蔵物文化財センター、國學院大学講師として考古学の仕事とともに歩んできた可児さんは、2019年退職し4月に津山市に帰ってきた。
「倭文地区をはじめ津山地方には古墳がたくさんあり、その中には四隅突出型と見られる特別な形の古墳などもありますので、調査が進めばもっといろいろなことがわかってくるのではないかと思います。」と話す可児さん。
「津山に帰ってきてほがらかになりました。家ではとても無口です、責めたり愚痴を言うこともない穏やかな人です」と潤子さんが話す通り、可児さんの表情はとてもやさしく慈愛にあふれている。
「出会った人たちから良い影響をいただき感謝しています。中学の頃出会った實成先生や、英語が苦手な私が学芸員を目指して大学に進むのを支えてくれた兄の存在、諸先輩たちとの語り合い、議論したことも出会いの運命。そして行田裕美さんがお声をかけてくれたのも津山に帰ってからの良い出会いです」と色々なめぐりあわせに感謝しながら津山での生活を楽しんでいる。




静かなブームに

2018年に行われた、東京国立博物館特別展「縄文|1万年の美の鼓動」をきっかけに、縄文時代が静かに地道なブームになっている。
その文様の美しさ、連続した文様づくりの見事な技。
女性を形どった土偶の神秘性など、縄文時代の魅力はいっぱい。

岡山市のカルチャーセンターで可児さんが縄文土器の講話をしたときには受講生が目を輝かせながら聴講したという。
「縄文の実態が分かってくると興味を感じるのかもしれませんね」

地元の秀実小学校では、毎年6年生と、勾玉や土器づくり、火起こし体験を行っています。




研究者の出した結論はビッグサイエンス


縄文土器の文様の付け方など初めて知ったが、丁寧に教えてくださった。
著書を読んでみてほしい可児さんの研究の成果はもとより考古学と向き合ってこられた可児さんが垣間見える。




「土器は粘土などの原材料の採取から始まり、成型、器面調整(整形)、施文(装飾)、器面調整(研磨)、乾燥、焼成と多くの作業工程があり、技術が必要、その技術を総合したビッグサイエンス だ」『縄文土器の技法』より。
縄文時代、縄文の土器に畏敬の念を抱いておられるからこその言葉だ。

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