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美作の歴史を訪ねて

法然上人の母・秦氏の愛(はたうじ)
法然上人誕生の地 誕生寺・久米南町里方編
秦氏祈りの地 仰叡の灯・美咲町西幸編

法然上人は長承2年、漆間時国、秦氏に待望のひとり児として美作国久米南条稲岡庄(今の誕生寺)に生まれた。
法然上人の幼名は勢至丸と名付けられ健やかに育っていたが勢至丸9歳の春、漆間家は明石源内武者定明から夜襲を受けた。
時国の人望に嫉妬してのことだったが時国は勢至丸に「仇として定明を追うことを戒め人としての真の生き方を求めよ」と言葉を残し43歳で生涯を閉じた。
勢至丸は父の最後の言葉を指針とし叔父の菩提寺(奈義町)の住職に引き取られ仏道に入り、6年後には偉才を認められ比叡山で修行する決意をする。
母・秦氏は勢至丸の強い決意を涙ながらに許した。

かたみとてはかなき親のとどめてしこの別れさえまたいかにせん(殺された夫が残した忘れ形見である息子勢至丸とまたこうやって別れなくてはならない、どうすればよいのか)
 
息子を想う母は毎日丘陵にて遠く比叡山を仰ぎ灯明をつけ我が子の無事を祈ったという。
それ以来丘陵を「都原」灯明を「仰叡の灯」と呼ぶようになった。
母の限りない慈愛の情があってこそ万民救済の道を開いた法然上人があった。
秦氏は遠くの息子を思いながら37歳で病没した。

歴史監修・和仁隆明(津山市在住)

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