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真庭の森林の楽しさに魅せられて

真庭市北房地区 小林建太さん

 今年の3月に、大阪から自然の中での仕事を夢見て、奥さんと娘さん達と共に北房地区に移住してきたのが、今回話を聞いた小林さん。
大阪生まれの大阪育ちで、前職は空調設備の設計と、田舎暮らしとは全く無縁だった。大阪では、連日の深夜残業が続き、心身ともに疲弊した日々を送っていた。また、娘達にも申し訳ない思いも、大きかったのだという。




そんなこともあり、自然の中で行う仕事をしたいと思うようになったという。
 小林さんが真庭への移住を決めた要因は多岐に渡るそうだが、真庭市に全く縁がなかった訳ではないことも、その要因の一つだという。
実は、小林さんの祖父は湯原の温泉街にほど近い場所の出身だそうだ。
すでに親戚も全て、湯原の地を離れているそうだが、こどもの頃から、年に一度は墓参りに来て、湯原温泉に宿泊をするのが家族旅行だったのだそうだ。




そのため、ある程度の大雑把な土地勘はあり、どこにきたのか分からないというような感じではなかった。
また、真庭市がバイオマス発電など森林資源と環境対策を関連付けることに積極的なところも、自然の中で働くにはプラスと感じたのだという。





そして、真庭なりわい塾の体験移住を経て、移住を決心したということだ。
この、真庭なりわい塾という組織について簡単に説明すると、「地域の自然とコミュニティーを元に、地域資源を活用した仕事を作り出す」ことを目指し、意識を共にする人達が学ぶ場として運営されている。





現在は、『びほく森林組合』の職員として働きながら、林業の基礎からみっちり身に着けている。
大阪の都心部に住み、理系の仕事をしていたのだから当たり前かも知れないが、実は移住してくるまで、チェーンソーや刈り払い機を使ったことが一度もなかったそうだ。




森林作業員など、請け負い作業を行う場合は免許が必要になる。免許を取得する為には、現場で作業に入る前に研修に参加する必要がある。そこで初めてチェーンソーを使ったそうだが、事前に受けたキックバック(チェーンソーの跳ね返り)の説明や、刈り払い機も含めた事故の事例などを見せられた後での実地は、さすがに怖かったという。
そして、半年以上たった今でも怖く、日々、気が抜けない状態で慎重に作業を続けているという。




 研修が終わり、免許を手にした最初の現場でいきなり立ち木の伐採を行った。
まずは、地拵えという植林をする場所の整地で、細い木ばかりだったが、木の重心がどこにあるかよく分からず、チェンソーが挟まって動かなくなる事もあったという。そうやって悪戦苦闘をしながら、今では、ある程度の樹齢の木も1人で伐採できるようになった。





 小林さんは目指す「なりわい」としての森づくり。
話を聞いてみて、すでに、かなり具体的なイメージを持っていることが分かった。
小林さんが目指す森林づくりとは、森林公園のような『自然とのふれあい』と林業収益が作れる森林経営が融合したようなカタチだ。
住民が、森林公園のように、森林浴やトレッキング、トレイルランなどで山に遊びにくることができて、なおかつ森林からも、林業収益が上がる。




 『林業は儲からない』『林業は補助金ありき』など、不採算性が叫ばれ久しいが、小林さんのイメージには、丸太として売るだけでなく、商品として直接ユーザーに売ることで、収益性を上げたいとの思いがある。
楢やクヌギなどの広葉樹を植え、炭を焼いたり、木酢液を抽出したりできる。他にもシイタケの原木にしたり、檜の細い間伐材や枝打ち下枝を、今流行のウッドチップとして販売することもできる。




中には、山を苗場として使い苗を作って販売することで、森林環境に合いやすい苗を作るなど、面白い発想のアイデアもあるようだ。
他にも、ジビエ肉の直販もしてみたいという。それに向け、すでに狩猟免許も取得済みだというから、恐れ入る。
公園のような山作りでも、すでに森林ガイドの資格を取得している。北房には、山中に古墳が多く点在する。また、山城も土の城だけではなく、石垣の詰まれている山城もあり、その復元整備などができれば、多くの人が訪れてくれるのではないか、と考えているそうだ。





 さらに、独立して自分で森林を整備をするために、来年から2年間、林業の専門学校に行く事を考えている。重機で作業道を整備したり、より大規模な林業について、本格的に学ぶ学校だそうだ。
本記事が出た頃には、すでに受験の合否発表も出ているだろう。正に夢に向かって一直進の小林さん。
そして、2年後には、様々な技術を習得して北房に帰って来て、思い描いている夢へのスタートを切って貰いたい。

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