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自らの地域を知るところから

植月村活性化project 三島弘行さん

 勝央町の旧植月村(うえつきそん)地域で活動する地域活性化組織、植月村(うえつきむら)活性化project』。昭和の大合併で勝央町が新設される前に、その地に存在していた植月村の名前を冠した組織だ。
5年ほど前から始まったこのprojectは、植月寺山古墳の維持、整備事業や旧植月村地域の情報発信など、旧植月村地域では、多くの人が知る活動を行っている。
その植月村projectについてのお話を、植月村活性化project実行委員長の三島弘行さんに聞いた。当時、三島さんは植月北の区長だったということもあり、現在でもそのまま実行委員長として活躍している。




 さて、植月村projectの活動を始めるキッカケは、やはり植月寺山古墳だという。
墳丘の長さが70メートル以上の前方後方墳は全国でも34基しかなく、90メートルを超える物は、特に貴重だ。
そんな古墳が旧植月村にあるのに、寺山古墳が凄いことを知らない人もいる。
二十数年前、台風で倒木が多く出た際に、片付けをした。その時に、なんとなく墳丘の形が分かるようになったことがあったのだそうだ。
小学校の校外授業でも、こども達が訪れるこの古墳の墳丘が、山となっている姿を見ても、凄い古墳だということは、理解しにくいだろう。




竹や立木が茂り、草ボーボーの古墳を綺麗にすることで、若い人達にも、もっと自分たちの住む地域に興味を持って欲しい。そのために、まず「もう一度、墳丘が分かる程度にはしたい」そんな思いの人が集まったところから、スタートしたのが、このprojectだ。
しかし、ただ、やろうと言っただけでは、前には進まない。
やはり人手も必要になる、また費用も掛かることが懸案だった。
そこで、旧植月村を構成していた、植月東、植月中、植月北の三地区の連合で、植月地区会を結成するよう働きかけた。




費用面については、『特色ある街づくり補助金』という補助制度があり、3年間一定の補助が出ることを知り、それを申請することにした。
当時の、旧植月村3区の区長を中心に、住民に声をかけ作業に参加してもらおうと、PTA、子ども会、消防団など、町内にある組織に声を掛けることから始まったのだ。




それと同時に、皆で集まって、旧植月村の事を話し合う時間も大切にしたという。
自分たちの住む地域の事を知らなければ、その良さは見えてこない。三島さんたちの世代が、先人から聞いたことを話したりしながら、情報共有をする。そして若い人達から、アイデアが出る。そんな時間と場所を大事にしたい、それが狙いだ。初会合では、20人を超える人が集まり、参加者から様々な話が、活発に飛び出していたのだそうだ。




 5年間の活動で、植月寺山古墳の整備は着実に進み、全体の1/4程の墳丘が現れるまでになり、前方後方墳であることが、はっきり分かるところまで来ている。
 話を聞くと、植月は古墳だけではない。
読者の皆さんも、相撲なら誰でも知っているのではないか? しかし角力を知っている人は、少ないのでは。どちらも『すもう』と読む。植月村の“すもう”は、この角力だ。




角力は、四角い角土俵を使った“すもう”なのだ。
四角い土俵は珍しいが、実は、昔は四角い土俵が主流だったが、江戸時代に江戸で丸土俵が現れ、次第に角土俵が衰退していった。今では全国で、角土俵が残っているのは、この勝央町だけになっている。
相撲界を角界などと表現するのは、この角土俵の名残だという。




勝央町の角力は、戦国時代の頃、豊作を願う行事として、四角の田んぼで行われていたのではないかという。
それが日吉神社遷座に伴い、神事となって奉納相撲がとられ、この時に本格的な角土俵が作られたのではないかとされている。今では、旧植月小学校近くにあったものが、勝央北小学校に移転され、教育委員会管理の元、伝統行事として、子供相撲が行われている。




ただ、コロナ禍に突入して、角力大会も中止が続いており、寂しい限りだという。
今年はコロナも若干落ち着いてきており、今年は再開されるのではないかと期待を込めている。再開を機に、角土俵の成り立ちや、丸土俵への移行、植月の土俵が角土俵として残ったのは何故だろうといった、相撲や角土俵について、もっと詳しく知って、考えてもらえるような、イベントなども行えたら、という思いもあるそうだ。




 このような活動や植月村の特色などを、年4回の広報紙で知らせる活動も、同時に行っている。しかし、この、植月村projectの補助金は、当初の3年だけで、5年目が終わろうとする現在は補助金は出ていない。
そんな中、旧植月村の約30の個人や企業の協賛が、このprojectを支えているのだ。




植月村projectでは、旧植月村内で、活動サポーターと協賛サポーターを募り、それに応えた住民が、植月村の魅力や伝統、文化を伝える形が出来つつある様に見える。
三島さんの、「地域の文化は、地域が守る」という言葉が具現化していく姿を感じさせられる取材となった。

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