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弾除け・世界平和に祈りをサムハラ神社

田中富三郎氏みずから弾除けを経験する
神様に呼ばれた人だけがたどり着けると言われていた、津山市加茂町中原のサムハラ神社奥の宮だが、近年力を与えられるとして多くの人が訪れるようになっている。
写真をご覧いただければわかると思うが「サムハラ」という文字はとても難しく不思議な字だ。パソコンで字を出すことが容易にできない。
そのサムハラ神社、1868(昭和10)年に苫田郡西加茂村(現在は津山市加茂町)で田中富三郎が中に石の祀られた祠を拝んでいたことが起源とされる。



田中氏は加茂地内の小学校に図書館を造ったり、児童に奨学資金を送るなど児童の育成に力を入れた当時の万年筆業界の先駆者であり、その功績は紺綬褒章を受章したほどであった。
その田中氏自ら日清・日露戦争などで戦地に行った時にはサムハラの護符を身に着けていたことから、無事生還。
第二次世界大戦に出征する兵士にお守りを持たせ、そのおかげで救われたりケガがなかったという人が大勢いたため、弾除けの願いを込めて千人針にもサムハラの文字を記していたという。
さらにさかのぼると豊臣秀吉臣下の加藤清正もサムハラの文字を刀に彫り付けていたため九死に一生を得たという伝承もある。



サムハラ神社の不思議
今では比較的簡単に行けるサムハラ神社。
津山市街から車で行くと約40分ほど。
私たちが訪れた時、周囲の山から数多の白い蝶が湧き出るかのように乱舞を始めた。
手が届きそうで届かない私たちの周辺をぐるぐると回るように百匹は優に超えた数の蝶が迎えてくれた。
不思議な事例としては、岡山から来たツアーコンダクターの女性が神社周辺で写真を撮ったところ、まるでオーラのような光が数枚にくっきり写りこんだ。
イライラと生活をしていたがある日気づくと心穏やかに暮らせるようになっていた。
など身近な事例として聞いてきた。
また、サムハラのお守りを身に着けていたために大事故にあったにもかかわらずかすり傷一つなかったとの話を聞くと「サムハラ」の不思議な文字に身を守られていたことの逸話が次々に出てくるから不思議だ。
この四文字は天狗界の天狗文字だという説や、シャンバラ=理想郷を表すなど諸説あるが、万象の中心に坐す神様と有形無形のあらゆるものを生み、むすび、調える力の源の神様を総称して「サムハラ」という説が唱えられている。



手を合わせ感謝する気持ち
「力をもらえる」と聞いて訪れた岡山市の二人の女性は「お参りしてとてもすがすがしい気持ちになった。
明日からも何事にも頑張っていけそうな力をもらったような感じだ」と満足そうだった。
サムハラ神社を管理して60年という地元のご夫婦は、「今まで何事もなく暮らせてきたのも心の中にいつも手を合わせる感謝する気持ちを持っていたからかもしれない」と話す。
目に見えない、言葉に言い表せない不思議。
それは存在する。
それは寛大な畏れるべき神たちなのかもしれない。


信仰は万益あって一害なし
田中富三郎氏は、世界平和を念願しながら「信仰は万益有って一害なし」と常に提唱して終生サムハラ大神の信仰を貫き。
百歳の天寿を全うした。
田中氏の胸像は大阪市西区にあるサムハラ神社に建立されている



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