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永遠に信じる

五郎兵衛の祖父は天草四郎時貞に仕えた将だったが天草の城で討死。
父の代に土居村(今の美作市土居)に戻り百姓をし、つつましく暮らしていた。
津山藩森家時代のある日、藩の役人が彼の所有田を検査しに来た時に酒食接待をしなかったので不正な測量をされ、怒った五郎兵衛は前年の年貢を納めなかった。
それを発端に家財道具などが調べられ、奥の間にキリシタン像がまつってあったことから五郎兵衛はかくれキリシタンと発覚した。
「8人家族の内乳呑児は何もわからぬが7人は毎日キリシタンを信仰している」と五郎兵衛。
当時キリシタンは禁教とされていたので藩は早速に捕手を向け、五郎兵衛は防戦したが幼子1人残して7人が磔(はりつけ)の刑に処せられた。


命をかけて守った信仰。
供養塔は美作市土居に7人塚として現存している。
文字の判読は難しいが「永遠に信じる」との思いで手を合わせる人が多いという、信仰を貫いた五郎兵衛。
そっと訪れ「永遠に信じる」ことを誓いたい場所である。

歴史監修・和仁隆明(津山市在住)


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