
冬陽ざしのびて部屋中覗き込む
我ものびのび映ろふ日中
堀内 あい子
●以前、ある短歌大会の総評で擬人法を近代短歌では使わない。あるいは擬人法を使った歌は評価されない。と話された指導者がいて、現在でも未だに都市伝説のように擬人法を毛嫌いしている短歌結社の指導者が存在する。
しかし万葉の昔から詩歌と擬人法は切っても切れない関係で、花木を人に喩えたり、川の流れや季節の移り変わりを人の想いや、人の立ち振る舞いに喩えた歌ばかりのように思える。筆者も若い頃「雲の姿」を「雲の形」に直されて近代短歌の表現の規制の馬鹿さ加減に呆れた事がある。擬人法にはその歌のイメージを解りやすく、伝わりやすくする働きや、躍動感やユーモラスな感覚あるいは詩的な表現など、その短歌を豊かにするケースが少なからず存在するのである。
さて、掲出歌であるが、冬は太陽の位置が低くなるため部屋の奥まで陽ざしが入ってくる。「部屋中覗き込む」が擬人法だが、巧く使われている良い例の歌である。
歳取りて役に立つより迷惑を
いかに少なくしていけるかな
信清 博史
●一読してクスリと笑えるような短歌(サラリーマン川柳や老人川柳を短歌にしたか?と思えるような歌)である。
短歌の定義は、5・7・5・7・7の三十一音で構成される短詩である。とすれば、この歌はまずは初句「歳取りて」の5、二句「役に立つより」の7、三句「迷惑を」の5、四句「いかに少なく」の7、結句「していけるかな」の7で三十一音きっちり短歌として巧く組み立てられて詠まれているのである。
内容はたしかに川柳ぽい詠み方をされているのだが、短歌に求められる「一首の中で作者が読み手に伝えたい事を、あれこれ詰め込み過ぎない。そして何より定型の57577を極力崩さず流れ良く詠む。」事はほぼ達成された歌ではあるのだ。
最近の近代短歌を提唱されている歌壇の中には、甚だしいほどの字余り有り、破調や中途半端な文語調旧仮名短歌が横行している中、これは立派な定型短歌である。
冬の朝津山盆地の風物詩
乳白色の立ち込める霧
河原 弘子
●津山盆地の晩秋から早春にかけての4~5カ月の間のよく冷えて晴れた朝、濃霧が立ち込めて風のない日など昼前近くまで太陽の日射しが届かず、洗濯物が乾きにくいといった事がよく有る。周りの小高い山に登ってみれば見事な雲海が見られるのだが、大きな鍋のような盆地の底で生活している人たちにしてみたら、この風物詩あまり有難いものではない。上空はくっきり快晴なのに、せっかくの温かい日射しが午前十一時くらいまで鍋底の地面には届かないのである。筆者も子供の頃はこれが日本中この時期の当たり前の現象と思って暮らしていたが、青年期県南の岡山市で生活するようになり、冬の瀬戸内の日射しは朝から温かい事を知った。
さて掲出歌であるが、この歌もきちんと定型に纏められ二句目「津山盆地の」と具体的に地名を表記しているのも読み手に伝わりやすい。ただ、ひらかなが少ない歌なので、全体的に内容よりは硬い印象を受けるのだが、冬景色にはお似合いかも。
来て嬉し帰って嬉しと言うけれど
喜びの中疲れが残る
信清 小夜
●川柳に「来て嬉し帰って嬉し外の孫」という有名な句があるが、その本歌取りと言えるような短歌である。作者は普段子供さんやお孫さんたちと離れて生活されていて、ご主人の歌にも「正月は十人子孫集いたり老いの爺婆右往左往す」とその時の様子を詠まれたものもあるので、今年のお正月を詠まれた短歌だと分かる。
家族と離れて暮らしていて、正月やお盆といった帰省の時期が近づいてくると、早くからあれこれと連絡を取り、それぞれの子供たちの家族がいつ来ていつ帰るか何日に全員の食事会を計画すれば良いか?過密になりすぎないか?寝具は?と集まる前から気疲れし、ごった返しにそれぞれが帰って行ってどっと疲れが出るのだ。
さて掲出歌だが、そのあたりの帰省場面がこの一首を読めば、目の前に見えるように伝わり、本来は短歌は「嬉しい」とか「喜び」といった直接的表現は避けた方が良いと言われているのだが、こういう家族詠はほのぼのとして良いのではないか。
今月の短歌
あらたまの
若菜(わかな)の節(せち)に
雪まとふ
蝋梅初花(うひか)
僅(はつ)かほころぶ
矢野康史
矢野康史さん プロフィール
あさかげ短歌会津山支社代表。全国あさかげ短歌会代表。津山市西苫田公民館と一宮公民館の2カ所で短歌教室を指導している。津山市文化協会副会長。
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