
春となる雨とおもへば愛(いと)ほしや
眼(まなこ)をとぢて耳欹(そばだ)つる
河野 澄恵
●今年の冬は殊の外寒さが厳しく、またいつもの年より雪の積もる量が多く、車のスリップ事故や東北・北陸の豪雪地帯の屋根からの落雪事故などが毎日のように報道されていた。その長く続いた冬もやっとやっと終りそうだ。季節の変わり目を告げるものに雷や雨が思い浮かばれるのだが、とりわけ雨はその季節の幕引きにほぼ必ず出番がやってくる気象現象である。
さて、掲出歌はその季節の変わり目を予感させる「雨」を詠み込んでいる。上の句の「春となる雨とおもへば愛ほしや」と些(いささ)か直接的表現を使用しているのだが、この歌の場合はこの作者の強い表現により、その裏に書かれていない(この冬の厳しかった寒さや雪の苦労)を暗(あん)に忍ばせているのだ。そして下の句の「眼をとぢて耳欹つる」とまったく感情を抑えて静かな表現に転じて見事に成功させている。この歌は直接的表現を使用しても評価を下げない手法の見本のような歌である。
コトコトとおでんを煮込む鍋の音
厨(くりや)の窓辺に粉雪の舞う
山本 見佐子
●一首の中にどことなく「日本昔話」のBGMが流れていそうな、日本の原風景を頭に描いてしまうような短歌で、このたった三十一音の中に「粉雪の舞う」寒い冬の季節、「コトコトと」おでんを煮込む音が聞こえて来そうな静けさ、「厨」の中に充満していそうな「おでん」の良い匂い、それをじっと見つめている作者の姿まで随分多くの情報を感じ取る事ができる作品に仕上げられている。
そして、作者はもうすぐ仕事に疲れて帰って来るであろう家族を想い描きながら
「寒い中お疲れさん」「暖かいおでんが出来ているから、食べて温まってね」と声を掛けてやろうと。その作者の思いまで伝わってくる短歌である。
この歌のように短歌はたった三十一音であらわす文芸なのだが、季節も、寒い暑いの感覚も、流れてもいないBGMの音楽や、料理の匂いや色、そして作者や家族の温かそうな会話やその関係までも表現する事ができる素晴らしい作品である。
褒め言葉会話の皿にのせてみる
キラリ茶菓子となりて弾みぬ
下平 浩子
●現代短歌の見本のような短歌である。心象詠、つまりイメージを一首の中に詠み込む手法で、近代短歌の写生詠、いわゆる明治中期に正岡子規が提唱した、事象を忠実に短歌に写し込む手法は、明治、大正、昭和の大戦期の時代を経て大きく変化して、この短歌にみられるような「褒め言葉」を人との「会話の皿」にのせてみたら「キラキラした茶菓子」のようになり、あなたとの「会話が弾んだ」と発想を飛ばした短歌となり、このように写実ではないがイメージとしてはなるほど!と読み手を唸らせる歌が現代短歌の真骨頂なのだ。この短歌の作者が後期高齢者であると聞き筆者は驚いた。なぜなら、筆者を含め後期高齢者で短歌を詠む人は、ほぼほぼ近代短歌の写生詠を、短歌を始めたスタートから先輩や短歌の師から叩き込まれ、心象詠の現代短歌の素晴らしさにはなかなか気付こうとしないし、舵取りを変える勇気を持てない人が多い中、高齢者でもこんな立派な現代短歌を詠まれてお見事!
苔生えて馬頭観音のきめ粗く
明治と記ししか文字はおぼろに
笠原 卷治
●「苔生えて」は「苔生(む)せる」「明治と記ししか」は「明治の文字か掠れおぼろに」とされれば、ほんの少しの手直しでなお格調高い歌に生まれ変わる。「石仏で村の歴史を」と題された一連の作品の中に、「街道に森長可の休み石天正十年と碑にあり」「高遠城に向ふ長可休みしとふ歴史は遠き我が古里は」のお歌を見つけ、不躾だがこの岡山県北の情報誌である“アットタウン誌”に掲載させて頂く事とした。
この一連の歌に詠まれている戦国武将、森長可(ながよし)はその勇猛さから鬼武蔵と敵将たちから恐れられ織田信長に寵愛され、森蘭丸・坊丸・力丸の三人も彼の弟たちで、本能寺の変で最期まで信長を守って討ち死にしたのだが、ただ一人生き残った末弟仙千代(忠政)が森家の跡目を継ぎ、信州川中島の領主からのちに徳川政権下で美作国(みまさかのくに)(現津山市)に国替えとなり、筆者の住んでいる町に築城したご縁が有り、
是非「街道に森長可の休み石」の街道を旅してみたくなった次第である。
秀吉に
指(および)六本
あったらし
運命線は
迷宮めぐる
矢野康史
矢野康史さん プロフィール
あさかげ短歌会津山支社代表。全国あさかげ短歌会代表。津山市西苫田公民館と一宮公民館の2カ所で短歌教室を指導している。津山市文化協会副会長。
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