浴室に貼られし孫の教材は
七十路我の新たな学び
山本 見佐子
●一読して作者の詠まれた〝意〟が伝わり共感を得易い歌である。
作者は若夫婦が働いている仕事時間、学校帰りのお孫さんを預かり、一緒に遊んだり塾の送り迎えを引き受けているそうである。お孫さんもおばあちゃんに良く懐き学校での出来事や、勉強の内容なども話しをされるのであろう。
作者もそんなお孫さんの勉強の教材が浴室にまで貼られているのを見て、一念発起し、自分も新たに勉強してみようと思い立ったのである。
なるほど!とよく解る歌である。ただ、惜しむらくは短歌は〝具象〟つまり具体的に表現する事が良いとされている。ここではお孫さんの教材が何の教材であったか?そこを具体的に歌われていたら、もう一段上の短歌になっていた。
しかし短歌は三十一文字しか無く、字数の制限から具体的に入れられない場合も当然でてくる。そこを取捨選択する難しさが作者のこれからの課題であろう。
老介護生きがいなるも思案する
夫と戯れ今日を楽しむ
屋内 友恵
●ここでの「老介護」はいわば「老老介護」と思われる。しかし老老介護は多くの場合、老いた子がもっと老いた親を介護する事を指す言葉として使われるので、この歌の〝老いた作者が老いた夫を介護する〟表現は何が適当なのか筆者も不勉強で知らないが、やはり「老老介護」の一部に入るのではないかと認識している。
作者は自身も数ヶ所の、医師からすぐにでも手術をしなければ生命の危険が有ると告げられるが、入退院を繰り返しながら施設に入所しているご主人が、土日に帰宅されるのでその介護をする為に、自身の手術が後回しになり「体を欺しだまし主人の介護をしている」という。自分も入院すれば主人が帰宅した時の世話が出来無いからと笑って言う。作者は多くの友人がいるが、皆さん口を揃えて彼女の事を朗らかで楽天家だと評する。表出の歌でも、介護の先ざきの不安を思案しながらもご主人と戯れむつみ合い一日いちにちを明るく生きている様子が伝わってくる。
粗末でも夏乗り切りし胡瓜もみ
我の得意の料理の一つ
信清 博史
●今年も暑い夏であった。その猛暑を毎日の食卓の胡瓜揉みで乗り切ったという。しかもこの歌の作者はシルバー世代の男性である。現代社会での若者夫婦は家事を分担して、仕事帰りの旦那がスーパーで買い物し、妻の帰りが遅ければそのまま料理も主人がするなんて事は普通の出来事だそうだ。
しかし、私を含め高齢の男性は仕事以外で「男子厨房に立つべからず」という古臭い家訓のようなものに守られ(?)余程の愛妻家以外は台所での任務は免(まぬが)れていた。ところがこの作者は胡瓜揉みが得意な料理の一つだと詠まれている。なるほど胡瓜も塩揉みをすれば手料理の一つなのだ。暑くて食欲が無くなっている時は、サッパリとした塩味と水分が涼を呼び、食も進むのであろう。
ただし、読者によっては胡瓜の塩揉みくらいでは料理の内に入らないと言われぬよう、下の句「我の得意のメニューの一つ」くらいにされてはいかがであろう。
デザートは一度に三個 贅沢に
友の庭より届く富有柿
河原 弘子
●短歌初心者の楽しい処女詠である。しかもなかなかの作で一読して作者の念(おも)いが伝わってくる歌に仕上がっている。確かに、細かい部分では未熟さがうかがえるが、「伝えたい事を素直に表現する」という短歌の基本は既に理解されている。
作者は無類の柿好きだという。この歌では三句めの「贅沢に」が個人的な主観であり、短歌の極意はできる限り主観を書かず事実のみを詠み、それを読んだ人に書かれていない主観、ここでは「贅沢に」と作者は思って食べたんだろうなあ、と感じさせるところを目指す事にある。
しかし、最初からそれを望むのは無理からぬ事で、この歌を詠まれた段階では初期の目標は十分クリアーされていて立派な作品である。参考までにであるが、
デザートに三個ペロリと平らげる 富有柿数多(あまた)友より届き
こうすれば大好物の柿を頂いた作者のデザートの至福な時間が伝わり易い。
今月の短歌
並木路の
アメリカ楓(ふう)と
落羽松(らくうしょう)
紅葉の綾に
風を染めゆく
矢野 康史
矢野康史さん プロフィール
あさかげ短歌会津山支社代表。全国あさかげ短歌会代表。津山市西苫田公民館と一宮公民館の2カ所で短歌教室を指導している。津山市文化協会副会長。
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