短歌への誘(いざな)ひ
落つる陽の残余の想ひ山の端に
留めて往きぬ彼岸の色に
橋本 眞佐子
●なんと壮麗雄大な景色を想い起こさせる歌であろうか。
文語調旧仮名短歌の格調高さと仏教用語を絡み合わせ、どこかスピリッチュアルな雰囲気をも漂わせている。作者自身の短歌歴は浅いと言われ、お母様が長く短歌を詠まれていたと伺ったが、もしそうであれば母上の遺伝子をそっくり引き継がれて居られ実に羨ましい限りである。
掲出歌は釣瓶落としの秋の落日を詠まれたものであるが、ここの「残余の想ひ」は落ちてゆく陽の擬人法的な要素も否定出来なくは無いが、筆者はこれは作者がもう少し留(とど)まって欲しい想いを落日に込めた「残余の想ひ」と取っている。
そしてここでの「彼岸」は季節の事では無く、仏教用語の「あの世」つまり、生死を超越した理想の境地であり、この世「此岸(しがん)」との対比で用いられ、作者は大切な人を送った彼岸が、あの茜に染まった素晴らしい場所であって欲しいと願うのだ。
目を閉じて鈴虫の声聴く夕べ
ひと日の疲れ忘る束の間
山本 見佐子
●作者は、既に仕事をリタイヤしている筆者とほぼ同年代の方であるが、ご主人を亡くされた今も、息子さん夫婦のお店を盛り立てて、朝から一日中裏方の仕事をされている。とても頑張り屋さんである時脚を負傷され、しばらくは杖をついて仕事をされていたが、今ではほとんど杖無しで、仕事とお孫さんのお世話を掛け持ちで夜暗くなっても「お店のお客様第一に」をモットーに動かれている。
掲出歌であるが、一日中バタバタと仕事をされていて、気が付けばもう辺りは暗くなっていて、いつの間にか鈴虫の音が聞こえてきた。ひと段落着いたのだろうか今度は目を閉じて、その鈴虫の声を味わうように耳を澄ませて聴いたのである。
下の句の「ひと日の疲れ忘る束の間」の表現が、作者が最初は聞くともなく働きながらふと「聞いた」状態から、ひと段落着いて目を閉じてゆとりを持って「聴く」ほんの束の間であろうが、心のゆとりを感じさせている。巧みな労働歌である。
接ぎ木して今も生き継ぐ一本松
新しきあの陸前高田
田野 孝明
●平成二十三年三月十一日未曾有の大地震が東日本、東北地方を襲ったのは午後三時過ぎだったと記憶している。特に三陸海岸から福島原子力発電所辺りにかけては地震の後の十㍍を超えたと伝わる大津波による被害で、島を含む海岸地域の人家は集落ごと壊滅状態となり、白砂青松で知られた高田の松原で有名な、陸前高田市だけでも死者行方不明者が二千人近く、また約七万本の松も、流されてしまった。
その中で唯一耐えて残ったのが「奇跡の一本松」と言われている松なのだが、根にも海水の深刻なダメージを受け、一年後の五月に枯死が確認されてしまった。
しかし震災直後から市民のみならず、全国の多くの人々からこの「奇跡の一本松」を復興のシンボルとして後世に遺して欲しいとの運動が起こり、陸前高田市はモニュメントとして保存整備していくこととなった。政治家である作者は、地域の防災や保護活動に常に強い関心を持ち、歌作りに生かしていこうとされている。
闇せまり不安なきかや夕顔よ
命の限り闇押し咲ける
河野 澄恵
●夕闇に咲く優雅で少し妖しい趣のある「夕顔」を詠まれている。
作者は自宅の庭に畑も作られていて、野菜は殆ど自家菜園で賄われておられるようで、今は息子さんも本格的に畑作りをされている様子が近くの道から覗える。手入れの行き届いた畑か庭に、この夕顔が咲いているのだろう。以前にもこの夕顔の詠草を出されていたと記憶している。夕顔の実は大きく瓢箪(ひょうたん)のようになり、薄く剥かれ干瓢(かんぴょう)として食材になるのだが、夕方に白くて優美な花を咲かせるので筆者は源氏物語の第四巻「夕顔」、十七歳の光源氏と恋に落ちる妖しくも儚い定めの女性と「心あてにそれかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花」の和歌を想い描いてしまう。お互いに身分を明かせないながらも想いを通わせ束の間の恋で終る。
作者も夕顔が咲くと、その源氏物語の「夕顔」に思いを重ねているのだろう。「夕顔」は暗闇の中で物の怪(け)に命を奪われてしまう。この一首、その闇に不安がないかと問い掛けて、命の限りその闇を押して咲く。と彼女の健気さを詠み秀歌である。
今月の短歌
喩(たと)ふれば
ヘップバーンの
やうな花
ジンジャーリリーの
香を纏(まと)ふきみ
矢野 康史
矢野康史さん プロフィール
あさかげ短歌会津山支社代表。
全国あさかげ短歌会代表。
津山市西苫田公民館と一宮公民館の2カ所で短歌教室を指導している。
津山市文化協会副会長。