霜の朝自転車通学寒そうに
スカート靡かせ首にはマフラー
堀内 あい子
●冬の朝の何気ない一コマを切り取って、歌に詠まれているが通学生殊に、自転車通学の女子にとって、冬は本当に大変嫌な季節であろう。
作者は朝の散歩中であろうか?霜の朝と詠まれているので、昨夜よく晴れて星の美しかった翌日、放射冷却でぐんと気温が下がり辺り一面真っ白な霜の朝となる。
女性である作者は冬になると下半身の冷え性が心配の種なのだが、毎朝通学している自転車の若い学生たちは、なんと脚をむき出しにしてこの寒風に、スカートを颯爽と靡かせて走っているではないか! 作者はそれを見て自身がブルッと身震いしながらも、その若さにほんの少し勇気を貰ったような気がしたのかもしれない。
そして走り去る上半身に目を向ければ、首にはそれでもマフラーをしていてそのマフラーも靡かせていた。もしかしたら親御さんか、自分のようなお祖母ちゃんが寒かろうと買い与えた物かもしれない。作者の目は愛(いと)おしさに溢れているようだ。
誕生日祝いのメール三つ来て
雨降る神戸も気持ち晴れやか
神崎 民枝
●誕生日の言葉で「誕生日は幾つになっても嬉しいもの」という有名な話しが有る。
事実、子供の時も青年の時、壮年の時を経て熟年・老人の域になってからもそれぞれに誕生日を迎えるというのは、どんな時でも無条件に嬉しいものである。
作者は当然自分自身、今日は特別な日(誕生日)と思っていたのだが、誕生日に過ごそうとやってきたせっかくの神戸が朝から雨、少し暗い気持ちになりかけていた早朝、誰も自分の誕生日など気に掛けてくれてはいまいと思っていたのに、突然「お誕生日おめでとう!」のお祝いメールが、予期しない三件も次々に届いたのである。中には少しご無沙汰していた友人からのものもあり、気持ちの上では神戸も雨のち晴れ!である。最近はパソコンやスマホに友人登録をしていると、自分は忘れていても「今日は誰々の誕生日だよ」とお知らせが入る。便利な世の中になったものだが、裏腹にそれだけ個人情報がばら撒かれているのは気になる世の中である。
有田焼ワイングラスのプレゼント
孫のラインは「長生きしてネ!」
稲垣 晶子
●今年短歌を始められたばかりの作者である。ご主人を最近亡くされて、脱力感で呆然とされていた時に親友から「短歌を始めない?」と誘われたそうである。
見よう見真似で数首作ってはみたが、周りの人の短歌を読むと自分の歌は何と稚拙なのだろうと、筆者の教室で勉強してみようと思われたそうである。
ちなみに、その友人も我が歌会で学ばれているのだが、非常に熱心で隔月発行される六十ページ前後の短歌誌の約千首余りを、最初から最後まで丹念に読まれ読めない漢字や分かりにくい文語表記、理解しにくい表現ヶ所など五十ヶ所ほども付箋を付けて、質問してこられる。そういう方は必ず上達が早い。これは今までの生徒さんを見ていて経験から断言できる。この作者もその友人と一緒に頑張って上達して欲しいと願っている。提出歌は初期の作品としては流れも良く、孫の歌に有りがちな直喩(ちょくゆ)(直接孫を誉める比喩)が無く、素直に表現されていて良歌である。
さみしさと寒さ具材にゆっくりと
お独(ひと)り様鍋煮込む夕暮れ
田上 久美子
●現在、東京を中心に若者たちの間で意外にも俳句でなく、短歌が静かなブームとなってパソコン短歌、スマホ短歌として歌集の出版も俵万智のサラダ記念日以来の販売数を記録したとテレビで放送されていた。理由としては三十一文字ほどのメールが、俳句の十七文字では短すぎて伝わりにくいが、短歌が丁度自分の気持ちをも盛り込めて、いわゆる「いにしえ人の恋のやり取り」相聞歌のツールとして利用されていると見られている。但し、それはアララギ派等の近代短歌やそれ以前の文語体旧仮名短歌とは、五・七・五・七・七の三十一文字で構成されるという根本以外、表現も全く違い、現代的新表現や若者言葉で構成されている短歌がほとんどである。
この作者の歌はそういう斬新な短歌に挑戦しようという意図が感じられ、特に上の句の実際の鍋の具材ではない抽象的表現と、下の句の「お独(ひと)り様鍋」という現代用語を巧く取り入れて、短歌の世界に新しい風を吹かせようとした秀歌と捉える。
今月の短歌
蜘蛛(くも)は糸
スーと降りきて
散り敷ける
銀杏(いちょう)落葉の
お布団入る
矢野 康史
矢野康史さん
プロフィール
あさかげ短歌会津山支社代表。全国あさかげ短歌会代表。津山市西苫田公民館と一宮公民館の2カ所で短歌教室を指導している。津山市文化協会副会長。