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中山神社

美作国一宮で美作国随一の規模と歴史を誇ります。

本殿は1559年に尼子晴久が再建したもので国の重要文化財に指定されています。

中山神社は美作国が備前国から分立した際に吉備の中山から勧請を受け創建されたと言われています。
吉備の中山といいますと、備中国一宮吉備津神社、備前国一宮吉備津彦神社があることでも有名です。
現在は「なかやま」ですが、昔は「ちゅうざん」と呼んでたらしいですが、「ちゅうさん」に関しては、中国の『山海経』に登場する中山経との説もあります。

おもしろいことに、この中山神社の主祭神は鏡作神ということです。
しかし鏡造神はどの古書記には登場せず、鏡造神がどの神に当たるのかの論争があります。
一説には、産鉄の神、金山彦命との説もあり、当時鏡が鉄で作られていた事を考えると説得力があります。
また、備前国一宮の吉備津彦神社においても金山彦命が祀られています。
社伝では元々大己貴命を祀っていたとも言われていますが、他の説として、鏡造神が温羅ではないかとの説もあります。
吉備津神社、吉備津彦神社を考えてみると備前と備後については東を向いていますが、備中と美作は互いに北と南を向いています。
これは、大和朝廷から派遣された吉備津彦を祀る備前と備後は大和の方角に当たる東を向き、温羅を祀る備中と美作は、互いに温羅の本拠地であったとされる鬼の城を向く北と南を向いていると考えられます。



備中は鳴釜神事などでも分かるように温羅の恨みを抑える祭りがあり、温羅を慰する意味合いが大きいのではないかと思われます。
温羅一族は渡来系の一族として知られ、鉄の生成などの高い技術を持ち、農耕などの発展に貢献した話はよく知られています。
血吸川は鉄錆が川の水を赤に染めたため、その名がついたと考えれば製鉄との関係は説明はつきます。
また下流には赤浜と呼ばれる浜があり、これも錆で赤く染まった浜だと思われます。当時の鏡も鉄で作られており、製鉄に高い技術を持つ温羅を鏡造神として祀ることは自然な流れだと思われます。

他にも中山神社は「中山鳥居」「中山造」など独特な神社の造りで全国的にも有名な神社なっています。
中山鳥居とは、剃りの大きい明神鳥居が基本形ですが、貫部分が支柱より外に抜き出ていないのが大きな特徴となります。
この形の鳥居を用いている神社で中山神社が最も有名な神社であるため、「中山鳥居」という名称になっています。


御本殿
本殿は1559年に尼子晴久が再建したもので、中山造と呼ばれる独特な建築様式で建てられており国指定重要文化財になっています。
形式は入母屋妻入り本殿の正面に対し、一軒の破風が向拝となっています。
中山神社に拘らず向拝の多くは唐破風ですが、中には妻入破風や千鳥破風のものもあります。
一遍上人絵図によると入り口が棟と並行する平入りだったが、再建されたのちは妻入りとなっており、元文、寛保、天保、明治、大正、昭和と計6回の大修理がされています。
桁行き梁行きは共に三間で単層入り母屋造り、屋根は檜皮葺きとなっています。
正面は中山造りで、軒に重繁垂木を分布し、軸部には総円柱板壁、斗拱は三手先、斗拱の間には正面と左右側面とに草花の透彫を挟んだ蟇肱を後面中備には万束を配しています。
腰四方には和様の高欄をつけた廻椽を繞らし基底の下部には亀腹を作っています。

摂末社
摂末社は消失前は112社にのぼったとされていますが、現在では5社となっています。

総神殿(惣神殿)
祭神:山上山下120社。
『中山神社資料』によれば「美作の国中12郡の大小神社の神を祀る」とあります。
742年の造営で社殿は切妻造・妻入屋根が曲線を描いて反り正面に片流れの向拝を付した春日造りの一変形でそれに唐破風がついていて皮葺になっています。
大正3年に御手洗川の外から現在地に移転されています。
18世紀の中頃の神社建築を伝える建造物として、2008年に津山指定重要文化財に指定されています。

国司社
祭神:大国主命。
地主神として大国主命を祀ったものです。
社殿の横には「鉾立石」があり、国難の際、本殿に移し祈念されました。

御先社
祭神:稲荷神。
中山の神の祖神を祀っています。
中山の神の側にあって供をするという義で、一般には、稲荷神として信仰されています。

猿神社
祭神:猿多彦神。
本殿裏に鎮座しています。
『今昔物語集』等の記述はこの猿神社に由来するものと伝える。
ぬいぐるみの小猿を奉納するおもしろい風習が残っています。

御神門
表神門は四脚門で、榎材の四柱に支えられています。
表側の二本は鏡柱と言われ幅を広く持ち、矢などから身を隠せるようにしている前後非対称の形式で医薬門という形態です。
屋根は平入切妻破風造りで檜枝吹きです。
装飾や彫刻が少なく、軒が高くなっている点など、城門として使われていた名残が随所に見られます。
この門はかつて津山城大手二の丸にあったもので、廃城令による廃城に伴い神門として中山神社に移築されました。
城中にあった時も扉を持たない門だったことが城の古図に見られ、津山城の数少ない建造物として貴重なものです。


所在地: 津山市一宮695
電話: 0868-27-0051

(ライティング:星護 禄胤)



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