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面白いことはなんでもやる まずやる

有限会社 「嶋屋」 山本俊治さん

起業のきっかけは

勝山には当時「居酒屋」というのが無かった。城下町で、古くから続く造り酒屋も数件。仕出屋さんや、宴会向き鮮魚店や、旅館、料亭はあった。
ここに居酒屋を作りたい。
店名「嶋屋」は山本家の屋号。
子供の頃に近所の大人たちから「嶋屋の子だね」と声を掛けられていたことがずっと暖かく心に残っていた。店を再興するときには、この屋号にしようと思っていた。




20代の頃の山本さんは、思いたったら採算度外視でまず行動するタイプ。
地元を離れていた時期があり、祖父の時代の乾物屋もすでにやっていなかったので、勝山の街であっても「どこの何者」という状態であったため、いきなり夜に営業する店は怪しまれると思い、まずは昼間にカフェを始めた。

だんだん顔見知りも増え、提供したいと思うメニューやドリンクが増えていき、当然アルコール類も導入したくなり。

遂に当初思いついた夜のお店(バー)へ。
突き進むタイプなので、まず店舗の改装。業者を入れて改装し意外とお金がかかることを知る。(その後、居酒屋、和食屋さんへ改装の時も業者に依頼)
その頃から、自分でも大工仕事をやってみようと観察したりしていたそうだ。




自分が良いなと思うものを提供したい。料理もお酒も魚も、自分の目で見て決めたい。
お酒も、魚も開店当初から10年間は毎日早朝から岡山へ通い買い付け。
業者とも仲良くなり、山本さんが気に入りそうなものを確保してくれるように成っていき、信頼関係もどんどん深まっていった。
ある酒屋さんは、勝山までトラックで配達してくれるようになった。
酒屋さんは勝山に来る度に、こちらでも販路を広げていき遂に津山にも店舗を開いた。
(アットタウン掲載のあるサカエヤさんです。今では真庭でもすっかりおなじみです)


趣味はサッカー

お店を始めるときに、あれもこれもは出来ない。
中途半端はお客様に対しても失礼なので集中しようと、大好きなサッカーをきっぱりやめた。
40才を超えて落ち着いてきたので再開したら、やっぱり好きで試合でドキドキする感じがたまらなく良い。最近では地元の若者達にフットサルの指導もしている。





子供が生まれて

娘が生まれたとき、我が子に限らず子供達には、安心安全なものを食べさせたいと思うようになり、作り手の顔が見える食材を大切にするようになった。
そして、地元だけで無く都会で暮らす子供達にも届けたいと、東京にもお店を作ってしまった。
野菜を販売する「しなちるママの野菜畑」の素敵なネーミングは東京の店長さんが名付け親で「品川チルドレンで、しなちる」とのこと。
体に良いものということで、最近では水にこだわったヘアカラー専門店も始めてしまった。

色々やってるけど大丈夫ですかと、恐れながら聞いてみた。
お客様に良いサービスが出来る範囲で、自分の能力を超えない範囲でチャレンジしている。
お店が繁盛して軌道に乗ってきたから席数を増やすこともしない。
受け入れを増やすと言うことは、サービス全般に関わる人材も育てると言うことで、それは一番大切なところ。




仕込みから開店準備、お客様の目に触れないところから仕事は始まるのだが、スタッフの何気ない言動や気の緩み、本当にちょっとしたことで信用を失うのはあっという間。
何よりもお客様に不愉快な思いは絶対にさせてはいけない。
経営者として常に緊張感を持っている。恐怖すら感じているという。こつこつと信頼を積み上げるのは本当に時間と努力が必要。

実際に、見られるもの、食べて頂いたもの、接客、それがすべて。

スタッフにときに厳しく説諭することもあるそうだが、真意の伝わったメンバーは続くし仕事以外でも人間関係が続いているという。
なかなか伝わらないこともある。




自分にできる範囲で努力する

いろんなことにすぐ興味を持って、とりあえず出来てしまうことについてどう思っているか聞いてみた。

誰でも何でも、始めてすぐに80~90%くらいは達成できる人の方が多いと思う。
それで満足するか、できる限り100%を目指したいと思うか。
で100%を目指そうと思っているけど。

あと10%、20%「ここだ!」という所に行き着く難しさを日々感じている。
「ここ」に行くのは狭き門です。とのこと。
「何をやっても楽しそうに見えるけど、満足はしていないです」とても楽しそうに話してくれた。

最後に「もうすぐ50才ですが、成ってみたらまだ若いから、まだまだ色々出来そうな気がする」と答えてくれた笑顔が印象的だった。

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