パワースポットの神木(しんぼく)に手を合わせ
賽銭五円に一年託す
堀内あい子
●表出の歌、いつもなかなかユニークな短歌を詠まれる作者である。
特に下の句を読んで、思わず吹き出してしまった。今時神様も「五円で一年間の御利益とは、厚かましいぞ!」と呆れ顔ではないか…と思ってしまう。
しかし、作者は「五円」は「ご縁」が有りますようにとお祈りする。のだと
この下の句には筆者も意表を突かれたが、日本人独特の語呂合わせ。参った。
これからのご時世、こういう短歌も「有り」なのだと逆に気付かされた。
そして五七五七七のところを七五五七七と初句と二句目を入れ替えてある。
実際には字余りで八五五となっているが、総数の三十一文字の定型は守ろうとしている意思は感じられ、破調で何でも有りの新短歌とは一線を画していると思われる。筆者もそこが好きである。順を替えて、神木のパワースポットに手を合わせ―とする手も有るが、作者の勇気を買って原作のままを頂く。
休日は若者たちのバイク音
楽しき旅もコロナを案ず
萬代 民子
●作者は山間の農家に独り、愛犬とひっそりと暮らしている。
昨年の初めから新型コロナウイルスが都会で流行し始め、次第に我々の地域にも広がってきて、一時期公民館での短歌会が施設の自粛に遭い、開けないことになった。三月から五月まで恒例の短歌会が開かれず、詠草を纏めた歌稿のみでの歌会だったが、さすがに三ヶ月会員の皆さんが顔を合わせなかったら、自粛が解除されたら六月から是非、三密を避けてマスク手の消毒をして歌会を再開しようと話しが出され、その後はコロナ禍に注意を払いながら歌会を続けている。
さて表出の歌だが、三句目と四句目が続けて読めば「音楽」と取られかねない。
そこで、―バイク乗る若者たちの休日の楽しき旅もコロナを案ず―とされては?
作者はひっそりと暮らしながらも、休日の山間に響く若者たちのバイクの音を嫌がらず、逆に彼らのコロナ禍の心配をしている、心優しい作者の歌である。
遠初音(とおはつね)耳を澄ませば春近し
頬撫でる風に心浮き立つ
田上久美子
●令和三年もついこの前正月を迎えたばかりと思っていたら、早いものでもう三月。
寒い寒いとコートの襟を立てて歩いていたが、時折陽当りの良い丘に吹いてくる風は、知らぬ間に春を運んできてくれている。この作者も最近短歌を始めた人だ。
初音はその年の春に初めて耳にする鶯の鳴き声だが、三月の題詠歌としてこの表出の歌が送られてきた。散歩をしていた時にふと耳にしたそうである。
彼女曰く、「私は短歌を始めるまでは、いつ鶯が鳴き始めるのか、いつどこでどんな花が咲くのか。ほとんど気に留めてなかったけれど、短歌を始めてからは鳥の声も花の名前も、毎日気にするようになりました」と笑顔を輝かす。
短歌を始めたばかりと言うが、海綿が水分を吸収するように今までは何気なく目にし耳にしていたものが、全く別の世界に住んで居るような感覚で短歌の材料として、五感のアンテナを敏感にしているように感じられる。散歩の途中遠くで鳴く鶯の声を耳にした。「遠くの初音」を聞き「春近し」と対比させる。巧い。
那岐山の斑雪(はだれ)もいつか消へ去りて
春の光は山肌に輝る
川本 素子
●この作者は那岐三山の裾野に住まれている。この地域は広戸風という台風などの時に猛烈な突風が吹くことで有名な、県北の山間部としては珍しく田畑が広々としている場所で生活されている。そこでは那岐山(標高1255m)が県内屈指の名峰と言われているように、地元の人たちの心の拠り所として四季折々、様々な姿を見せている。当然県北の山ゆえ冬は積雪も有り、その嶺に雪を積む那岐山はどこか霊峰めいて、裾野に住む人たちに凜として存在感を示している。
斑雪はまだらに降り積もる雪のことだが、この地域にも信州の白馬伝説のように、溶け残った雪のまだら模様でその年の吉凶を占う、古い言い伝えが有ったと古老から聞いたように記憶しているが、筆者の記憶も朧になって判然としない。
この作者はいつも熱心に短歌に取り組まれている。時折、作歌に行き詰まり、「先生、なかなか良い歌が作れません」と悩みを打ち明けられるが、月々の歌会では毎回のように高得点を取られている。益々のご健詠をお祈りしている。
●今月の短歌
五分後に
流鏑馬(やぶさめ)を射る
若者は
駒(こま)宥めつつ
大き息吐(は)く
矢野 康史
矢野康史さん プロフィール
あさかげ短歌会津山支社代表。全国あさかげ短歌会代表。津山市西苫田公民館と一宮公民館の2カ所で短歌教室を指導している。津山市文化協会副会長。
アットタウンでは矢野さんの短歌や短歌教室の生徒さんの歌を毎月掲載中。
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