雲海の果てなる四国山脈よ
気宇は壮大コーヒータイム
白井 真澄
●作者は両山寺という古刹で有名な、岡山県美咲町の二上山の山頂付近に幼少時を過ごし、現在は津山市東一宮にご家族と住んで居られるが、傘寿を越された今現在なお、幼少時に住まわれていた山頂付近の畑に折々通われて、野菜作りをされているそうである。津山あさかげ短歌会の数少ない男性歌人である。二上山は標高六百八十九メートルの山で、県内の中央付近に頭一つ抜きん出た山で、名は西峰と東峰の二つの峰を持つ事に由来する。奇祭で知られる両山寺が作者の畑の近くに有るが、筆者も何度か訪ねたことがあり、十月末に雪が降ってきて驚いた経験がある。作者はその畑の作業の合間にコーヒーを飲むのだが、北は大山、南は瀬戸内海や四国山脈が天気良く、お名前の様に空気が澄んでいる日は眺められるという。お人柄もこの短歌同様、気宇壮大な方であり、豪放磊落でスケールの大きな短歌を、一宮公民館の短歌教室で数多く発表されている。
園庭のすみで色づくハナミズキ
園児の声は元気いっぱい
森藤 由三子
●作者は最近短歌に興味をもたれ友人に誘われて、我があさかげ短歌会の門を叩かれた方である。よく目にする光景だが、一読して作者の素直な性格が表れている作品だと感じる。おそらく園児であるお孫さんの通われている保育園での一コマなのであろう。もしかしたら作者がこの園にお勤めなのかも知れない。その辺りがこの一首だけでは分からないが、園庭の隅にある花水木の花が色づき華やかになってきた。この歌の情報からは花水木が色づいたという事と、その園庭で元気いっぱいに大きな声で遊び回っている風景が伝わってくる。
春の桜の花が終わり少し経過した時期と、園児たちの声が元気に満ち溢れている、いかにも平和で温かい雰囲気がこの短歌からは読み取れるのである。
まだ歌作りに慣れなくて、一句目の「すみ」は漢字で「隅」とする方が良いとか、作者と園児との関係が例えば「孫ら園児は元気いっぱい」とか「預かる園児は」とされれば自分の孫か、自分が保母さんかがよく解る歌になる。
いつもより開花早めてどっしりと
据わる牡丹は深紅の美人
信清 博史
●今年の季節の移り変わりは地球温暖化の影響なのか? いつもの年より、確かに早く四月にならないうちに桜が終わり、例年ならゴールデンウィークに見頃を迎える牡丹の花が四月初旬には咲き誇った。
牡丹の字には牡(オス・オトコ)が丹(アカ、赤い)朱い男の意味が有るのだそうだが、なるほどヤクザ映画の高倉健の唐獅子牡丹の刺青の絵柄は、任侠の男臭さを表していたのかと、不覚にもふと頭をよぎってしまった。
勿論ここでの短歌に詠まれている牡丹とは全く関連が無い話しで恐縮である。作者は庭に咲いた見事な牡丹に心を奪われた。今年は何故こんなに季節の移り変わりが早いのだろう、それにつけても「立てば芍薬据われば牡丹、歩く姿は百合の花」とは女性を花に見立てて良く言ったものだ。と短歌に詠まれたのである。
下の句「どっしりと据わる牡丹は深紅の美人」擬人法もここでは許容される。「深紅の美人」が妙に艶めかしく、さぞ美しく咲いたのであろうと想像させる。
春うらら隣家の軒は賑やかに
つばめの巣作り時を惜しみつ
屋内 友恵
●五月の一宮短歌教室の例会で、題詠の「つばめ」を詠まれた短歌である。うららかな春のある日、作者の隣の家の軒下にかしましく燕が飛び交いながら巣を作っているのに気が付いた。燕は渡り鳥で仲春くらいからフィリピン、マレ―半島辺りより海を渡り、南方の温かい風さえも運んで来る鳥である。
日本全土に飛来し、人家の軒先などに泥や藁で椀形の巣を作り繁殖する。空を高速で飛び交い空中で虫などを捕獲し、巣で繁殖した雛にせっせと餌を運ぶ姿はいつ見ても微笑ましい。巣の下に大量の糞を落とすので、嫌って巣を作らせない家も最近は多くなったが、巣を作る家には幸運をもたらすと言われ、糞害を嘆きながらも雛が成長し秋、南方に去って行くまで温かく見守る人も多くいる。
さて表出の歌だが、忙しく餌を運ぶ状態を下の句の「時を惜しみつ」とされたように思うが、四句目から「番(つが)いのつばめ巣作り励む」とされる手もある。そうすれば仲の良い夫婦(めおと)つばめが、せっせと愛の巣作りに励む微笑ましさがでる。
●今月の短歌
トレンディ
ドラマのような
朝がきて
きみの笑顔が
向日葵(ひまわり)になる
矢野 康史
矢野康史さん プロフィール
あさかげ短歌会津山支社代表。全国あさかげ短歌会代表。津山市西苫田公民館と一宮公民館の2カ所で短歌教室を指導している。津山市文化協会副会長。
アットタウンでは矢野さんの短歌や短歌教室の生徒さんの歌を毎月掲載中。
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