初夏に増す木々の緑の透き間より
光差し込む眩しき陽ざし
山本 見佐子
●今年は季節の移ろいが例年よりも早く、桜の花も4月になる前にほとんど終り、続く花水木やサツキ、薔薇、笹百合などの花の時期もコロナ禍の中で、世の中がざわめいているうちに、駆け足で過ぎ去っていくかのようである。
表出の歌の作者は、市街地北部の緑豊かな高級住宅地にお住いである。近くの広々とした公園の木々の葉は、春の萌木の柔らかな色からその緑を色濃くし始めている。最愛のご主人を亡くされて、それまで仕事と介護に目の回る多忙さでほとんど自然の営(いとな)みや季節の移ろいに、ゆっくり目を向けることもなかった。
相変わらず仕事は忙しいのだが、時折襲ってくる孤独感や心の透き間に吹き込む得体の知れない雑念は、最近始めた短歌を作ることで少しずつ外の景色に目を向けられるようになり、今では指を折りながら思考する時間に変わってきた。この結句「眩しき陽ざし」こそ作者に差し込んできた短歌への日差しだと信じる。
大谷の宇宙人的活躍は
球宴に出て更に輝く
河原 洋文
●大谷選手、言うまでも無く日本球界から大リーグに移籍して活躍中の、あの大谷翔平選手の事である。日本のプロ野球も今やレベルから言ってアメリカの大リーグに近くなってきたものの、やはり体格差はいかんともし難くピッチャーの球の速さや、打球の速度はどんなに贔屓目に見てもまだ同等とは言えない。
しかし、彼は一流大リーガーでもほとんどいないピッチャーと打者の両刀使いをこなし、それぞれに立派な記録を更新しているのだ。
表出歌の作者はその活躍を宇宙人的と形容し、桁違いの身体能力をもはや人間では無いのでは?と呆れかえっている。勿論同じ日本人としては誇らしく、今後も末永く怪我に注意して、まだまだ彼の地のファンの度肝を抜く活躍を期待してやまない作者なのである。球宴はオールスター戦で、それに選ばれた事が素晴らしいのではあるが、結句「更に輝け」とエールを表現してはいかがだろうか?
結婚式コロナ禍のため無期延期
電話の向こうに涙が見える
信清 小夜
●表出の歌、最近よく耳に入ってくる情景で切なくなる。このコロナ禍のため折角の若い二人の門出を祝う事が出来ないのである。
歌の内容から察すれば、ご親族、子供さんかお孫さんの結婚式がコロナの為会場に大勢集まるような会は自粛するよう言われ、無期延期となり電話が掛ってきたのであろう。若い二人には青天の霹靂。会場も被害者である。
国単位ではオリンピック問題。やるかやらないか?やるとすれば観客をどうするか?本当にこのコロナウイルスは人類にとって、世界中に莫大な負の遺産を持ち込んだものである。
作者は、電話の相手に慰めようもない思いで、コロナに深い怒りを感じている。
そして御祝も励ましも言葉にならない。まさに下の句の「電話の向こうに涙が見える」のであろう。コロナ禍に負けない若者たちのご多幸を願うばかりである。
掌に止まり微かな温み明滅す
はぐれ蛍のゆらり寄りくる
田上 久美子
●蛍も今年は早くから飛び始めた。筆者も毎年蛍の飛びそうな川の上流を捜して歩くのが恒例になっている。子供の頃近くの川に箒(ほうき)や団扇(うちわ)などを持って行き数匹採って帰り、部屋の中に放しふわりふわりと飛ぶのを飽かずに眺めていた。
この作者は都会育ちで、ほとんど野生(ナマ)蛍を見た事が無かったと言う。東京では大きな料亭などに行くと、蛍の時期には屋敷の広い庭に従業員がほんの数匹蛍を放ち、客は歓声を上げて見るのだという。そのために蛍の時期はそういう料亭は蛍会席などと銘打って夜の予約を受けるらしく、作者も父親に連れられて、そういう一部人為的な蛍しか見た事が無かったそうだが、現在地方での暮らしになりしかも大人になって初めてナマの蛍を見たそうである。小さな川の土手の藪から本真物(ほんまもの)野生の蛍がゆらりと飛んできて自分の掌に止まった。心臓が止まるほどの感動だったと思われる。点(とも)るとそれは微かな温みを感じたという。都会育ちらしい作者の素朴な実体験の歌である。
今月の短歌
捩摺草(もじずり)に
いと愛らしき
白蝶は
螺旋花(らせんか)の穂を
たどり蜜吸う
矢野 康史