アットタウンWEBマガジン

短歌への誘(いざな)ひ

2021年08月15日

万緑の猛々しさにたじろぎぬ
 若き季節を生きる命よ

橋本 眞佐子
●この一首、何と力強さを讃えた歌であろう。この詠草を提出された時は初夏を迎え、確かに全ての木々や荒草が伸びにのびる時期であった。その勢いに圧倒されて一瞬ひるんでしまった。しかし、作者は下の句で、その万緑を創生している葉や草の猛威を「若き季節を生きる命よ」と好意的に感じる表現で表している。
 この作者を紹介されたのは今年の春のことであったが、最愛のご主人が急逝され、何も手が付けられなくて長く塞ぎ込まれていたそうである。
 悲しみは誰にも癒やしてあげる力は無いが、どんなに辛く哀しいことであっても、必ず薄紙が一枚一枚剥がれるように、心にうっすらと光が差し込んでくる。
 この歌の下の句を読んだ時、作者が「猛々しい万緑」にたじろぎはするが、これらの緑に押し潰されるのではなく、「生きる命よ」とされたのはご自分に対する叱咤激励、これから私は歌を詠み強く生きてゆくよとの決意表明だと思った。



コロナ禍の五輪強行 増えるのは
 メダルの数と重症者数

千葉 二朗
●五輪は勿論オリンピックの事である。今年しか詠めない時事詠でしかも頓知が効いている。短歌の場合、時事詠は以前もこのコーナーで紹介させて頂いたが、現在起こっている状況を各新聞に載っているより、ほんの少し味付けをし、読んだ人の頬を緩ませたり、頷かせなければならない。
 表出の歌だが、作者は和歌に造詣が深く、この歌でも所々に「仕掛け」を作っている。まず、掛詞としてオリンピックの五輪とコロナ禍での死者の五輪卒塔婆を掛けている。結句の重症者がそれを連想させるのだ。そして、メダルの数と重症者数と「数」の韻を踏んでいる。なかなか茶目っ気が有りウイットに富んでいる。この「短歌への誘ひ」欄に、毎号私の拙歌評を掲載させて頂き、我が短歌教室で歌作りを勉強されている方々に大きな力と希望を持たせて頂いて、いつも感謝に堪えない方である。今後も是非ご理解とご協力を願うばかりである。


また来るね 媼(おうな)の手に手重ねれば
 よう働いた手だと呟(つぶや)く

井上 襄子
●上の句「また来るね」は作者の言葉、下の句「よう働いた手だ」と呟いているのは、自分の介護をしてくれているこの歌の作者を讃える媼の言葉である。
 筆者も以前、高齢者の介護の仕事を経験していたが、この歌の作者も高齢者介護の仕事をされている。今や3Kと言って、キツい・汚い・給料が安い、仕事を選ぶ上で若者から敬遠されがちな職種でありながら、求人が一番多いのも事実。
 作者自身も「老老介護」と自嘲気味に話されるように、どちらかと言うと高齢者の域に居られ、だからこそ若い介護者より利用者の気持ちや立場が理解できるので、この歌の媼「おばあちゃん」にも随分信頼されているのだと思う。
 訪問介護に訪れて、仕事を終えて帰ろうとすると、独居の媼は「今度はいつ?」とすがるように手を握ってくる。「また来るね」と作者は手を重ねて握り返す。その手を見て「よう働いた手じゃなあ」と呟いた。映像として立ち上がってくる。



暮れ泥(なず)む東の空に正に今
 茜色した満月のぼる

堀内 あい子
●盛夏の夕方は、暮れようとしてなかなか暗くならない。それを「暮れ泥む」と表現するのだが、西の空にさっきまで沈まなかった太陽が、やっと山の向こうに落ちていった。だが、夏の宵はまだ暮れ泥んでほんのりと明るさを保っている。
 正にその時、東の空を見ればさっき西の山に沈んでいったばかりの太陽のような茜色した、まん丸な満月がゆっくりとのぼって来たというのである。
 人は時々思いもよらず、大自然の素晴らしい光景の証人となり得る事が出来る。その光景は時間を計ったり計画を立ててその現場に行ったわけではないのに、偶然目にする事が有るのだ。このような事象は当然であり、いつでもしょっちゅう見られるよ。と言う人もいるが、果してそうであろうか?現在は映像として見れば、確かに多くの機会が有るかもしれないが、年に約十二回の満月に晴天でしかも時間的に余裕が有りその時間家の外に居る。筆者も今まで何度か満月がのぼる光景に感動したが、その日はとても素直で豊かな気持ちになれたものである。



今月の短歌

過去といふ
鎧(よろい)を捨てて
翔(と)びたてる
勇気といふ名の
翼が欲しい
矢野康史


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