アットタウンWEBマガジン

短歌への誘ひ

2021年10月17日

@歌壇

七年の月日重ねて花の咲く
 淡きピンクの笹百合は今
岸元 弘子



●筆者は掲出歌から、初めて知ったことであるが、笹百合は花を咲かすのに七年の歳月を要するようである。(中には一〇年とも)山野の生態系の本を読めば、本州の中部地方以西、四国、九州の野山や草原に咲く野生ユリとあり、茎の先に淡いピンクの花を横向きに咲かせ仄かな香りを辺りに漂わす。日本固有種で、園芸目的の採取や里山の荒廃により、その美しい花は激減しているそうである。
 この歌を頂いたころ、筆者も津山市の神楽尾城に登れば咲いているとの情報を得て登ってみた。確か七月初旬であった。三六〇度見渡せる頂上付近に一株の笹百合を見付け嬉しくなったが、後から登ってこられた常連者に尋ねると、先週まではもっと沢山の笹百合が下の段に咲いていたが、心無い盗掘があとを絶たず、ご近所の愛好家が大切に守っているが、今年も荒らされてしまったと肩を落としていた。掲出歌の結句「笹百合は今」は、後を絶たない盗掘者への作者の嘆きかもしれない。

思い出の人の大方既に亡く
 生きるとは斯くも切なきものか
花村 輝代



●下の句に作者の思いが込められている。人は幼少期、青年期、壮年期を様々な人と関わりを持ち、沢山の人との思い出と共に老齢期を生きることになる。
 一年の四季に於いても、釣瓶落としの秋の季節は訳も無く、もの悲しく切なさを感じることがある。青春がまさしく人生の「春」とすれば、日暮れがどんどん早くなってくる「秋」は老齢期、作者は自分の生き来し苦労や、共に歩んだ仲間・関係の深かった多くの人たちを思い浮かべている。
 その中には既に見送った最愛のご主人や、最後まで介護して共に涙した母と姑。おおかたの人々は旅立ってしまった。確かに苦労もあったけれども、今では懐かしささえ感じて、庭の虫の音が余計に悲しみを盛り上げてくる。
 掲出歌に季語は使われていないが、この歌の背景には「人生の秋」が切々と詠み込まれていて、筆者はこの作者の追憶に強く引き込まれてしまった。

困難を克服しての神業か
 あるもの生かすパラリンピック
田野 孝明



●コロナ禍の大変な中、二〇二〇東京オリンピックに引き続き、障害者の祭典である東京パラリンピックも成功裏に無事に幕を閉じる事が出来た。
 開幕前はさまざまな困難が予想され、開催さえ危ぶまれた曾て無い特別な警戒のもとで開かれた大会であった。確かに開幕前にも様々な問題が噴出し、コロナ以外でも物議を醸し、よくぞ笑顔でフィナーレを迎えられたものだと思った。
 しかしアスリートたちにはすべてが彼らの問題では無く、病原菌の問題であったり、準備委員会の問題であったり、それらを取り仕切る側の問題であった。
 にも関わらず、アスリートたちは、この大会が多くのボランティアや医療関係者や国民の協力のもとに開催されたことに、競技の度に感謝の言葉を口にしていて、見ている側の心を熱くしたものである。殊に障害者の前向きでひたむきな精神には、人間は無限の可能性を持っていることをスポーツを通して教えられ感動した。

夕顔の薄暮に浮きたる花ながめ
 源氏絵巻に思ひを馳せる
河野 澄恵


●掲出歌はあの有名な源氏物語絵巻に、現実の夕顔の花の優美さを重ねている。夕顔は黄昏時に白い大きめな花を開く。その実から「かんぴょう」が作られることを筆者は短歌を始める前はまったく知らなかった。大きく白い花ではあるがどこか儚さを感じさせ、同じ白い花である大山蓮華や山法師のような凜とした強い主張を感じさせない。そのあたりが源氏との束の間の恋や、はかなく終ってしまう命をイメージさせるのかも知れない。
 源氏物語での夕顔は、ご存知の通りミステリアスな出逢いから、六条御息所から心が離れつつあった光源氏と想いを通わせ、お互いの身分を明かさないうちに深い関係になり、夕顔を連れ出し一夜を共にするのだが、嫉妬に狂った六条御息所の生き霊が夕顔を呪い殺すというあらすじであったように記憶している。突然に夕顔を亡くしてしまった光源氏の傷悴に、作者は想いを馳せているのだろう。



今月の短歌

老いてゆく 
哀しみ知らぬか 
ポスターの  
ジェームス・ディーンの 
哀しき眸(ひとみ)

矢野 康史





矢野康史さん プロフィール
あさかげ短歌会津山支社代表。全国あさかげ短歌会代表。津山市西苫田公民館と一宮公民館の2カ所で短歌教室を指導している。津山市文化協会副会長。




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