秋川の瀬に身じろがず佇つ鷺の
思案を計る己可笑しむ
澤井悠紀子
●秋の水の澄んだ川の瀬に鷺が餌を求めて佇む姿はよく見かける景である。
鷺は川の近くの枝が広がっている大きな木を集団で宿にし、巣を作っている鳥であるが、川魚など猟をする時はほとんど単独で餌場(テリトリー)に佇(た)ち、じっとして動かず近寄ってきた小魚を嘴で捕らえているのを見かける事が有る。
だが、小魚も頻繁に寄ってきて喰われる訳では無く、鷺はしばらくただじっとして餌の方から近寄って来るのを待っているので、かなり辛抱強くその光景を見て居なければ、捕食する瞬間を見られない場合もある。
掲出歌の作者は散歩の途中なのであろうか、偶々川の瀬に佇んでいる鷺を見かけた。じっと動かぬ鷺を、何を思案しているのだろうか?と思いを巡らせたのだ。
そして作者自身、そんな埒外なことを考えている自分にふと気付き、思わず可笑しさ感じたのだ。何気ない日常を歌にされているが、なかなかの秀歌である。
ちはやぶる境内(かみにわ)染める黄葉に
稚児ら戯(たわむ)る秋空の下
千葉 二朗
●「ちはやぶる」は落語にも登場する「神」「宇治」に掛る有名な枕詞である。
神々が鎮まる境内を銀杏の落葉が真っ黄色に染めている。鮮やかな光景の中で子供たちが無心に遊んでいる。結句から想像すると、秋のよく澄んだ青空の下だったのであろう。青空と黄色に染まった境内の対比が目に浮かぶようである。
作者は神社や和歌に造詣が深い当アットタウン誌を発行されている社長であり、著者のあさかげ短歌会に大変ご理解を頂いている方である。
以前、私が福山市の備後吉備津神社を訪ねた時、突然にもかかわらずご案内をして頂き、歴史的背景、建物の構造、石垣に至るまで微に入り細を穿つ懇切丁寧な解説を受け感激頻りであった。
掲出歌は最近では珍しくなった「ちはやぶる」という古典的な枕詞を使用し、下の句にその韻をふむ「稚児ら」を用いるなど高度な作歌技法が見られ秀歌である。
夕暮れの重たきほどの蝉時雨
生命の不思議思いつつ歩く
頃安 成子
●晩夏の歌として九月に発表された一首。夕暮れの蝉しぐれと言えば蝉の種類は書かれてないがまず蜩(ヒグラシ)か法師蝉であろう。
特にヒグラシはカナカナカナカナと最後が消え入りそうな声でもの悲しそうに鳴く。日中の暑い最中にわめき立てるように鳴く油蝉や熊蝉、ミンミンゼミなどは夏を主張するように鳴き、聞くと益々暑苦しさを感じるものだが、早朝や夕暮れ時に鳴く前出のヒグラシは、掲出歌の表現のように命の重さや悲しみをズシリと感じさせる事が確かに有る。
作者は山ガールとして山歩きの歌を多く作られる方であるが、黄昏近い山道を歩いていると蝉の声が禅問答のように、そして人生観や生命の不思議を問うように聞こえてきたのだ。同じような山道を種田山頭火や牧水も人生の寂しさや儚さを自分の心に推し量りながら、峠を越えて旅をしていたのであろう。沁みる歌である。
畑隅にオーシャンブルーの零れ種
一叢盛りて朝毎(あさごと)の海
白井 真澄
●掲出歌のオーシャンブルーは名の通り「大海原の青」を想像させる蔓性の宿根、野朝顔で一般的には種が出来にくいので挿し木で増やすそうだが、作者の畑には種が零れて自然にひと叢のオーシャンブルーの花が咲き盛っているという。
原産地は沖縄や西表島の南洋植物だが、今では本州のかなり広い地域で見られるようである。毎朝大海を思わす神秘的なブルーの朝顔の花が開き、夕方には紅紫に色が変化し萎んでいく。花は普通の朝顔より少し大ぶりで色の鮮やかさに筆者も惹かれ、好きな花の一種である。気候が良ければ十月初旬まで咲き継ぐ。
作者もきっと山の中の畑に、思いもよらぬ海の色を見ることが出来た喜びを一首の歌に表現したかったのだと思う。
結句に「朝毎の海」と限定的に表現しているところが、この作者の個性でありこういう場合、海の如くや、海のように、としない作者の強い感性が偲ばれる。
今月の短歌
一面(ひとつら)の
芒(すすき)の穂波
銀色(しろがね)に
遍(あまね)く照らす
十六夜(いざよい)の光(かげ)
矢野 康史
矢野康史さん プロフィール
あさかげ短歌会津山支社代表。全国あさかげ短歌会代表。津山市西苫田公民館と一宮公民館の2カ所で短歌教室を指導している。津山市文化協会副会長。
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