アットタウンWEBマガジン

短歌への誘(いざな)ひ 4月 @歌壇

2022年03月18日

新学期雨や寒さに負けないで
 パラソルの花クルクル回し

三好 多恵子


●作者は一年を通して、極寒の朝や夏休み前後の茹だるような午後の街角に立ち、通学児童らの横断歩道の安全を見守るボランティア活動を長年続けておられる。
 年が明けて新学期が始まった途端に冷たい雨の朝、子供達は楽しかった冬休みの思い出を友達に話しながら、時折持っている傘をクルクル回し歩いているのだろう。
 作者の子供らを見守る優しい眼差しを感じられる短歌である。
 この作者も短歌歴はまだ浅いが非常に熱心で、毎月の公民館での勉強会には余程の差し障りが無い限りは歌会を休まれることがない方である。
 さて表出歌であるが、上の句に「雨や寒さに負けないで」と子供たちへの思いに直接的表現を使用しているが、この歌の場合は応援歌の要素が全面に出ている歌として、作者の子供たちへの無言の眼差しを表現されていて良いと感じる。下の句はひっくり返し「クルクル回すパラソルの花」とする手も有る。

トルコブルー、ロイヤルブルー、
コバルトブルー
どれとて足りぬ秋空の碧

初岡 勢津子


●短歌は現在「表現の自由化」と云われ、五七五七七の三十一文字の韻律にとらわれず自由律で詠んだ歌や、表出歌のように句読点を入れたり!や!!、!?、?、などまた、カタカナ語を多用した短歌も発表されてきている。
 当然、そういった斬新な短歌をまったく「短歌」として認めたくないという意見が有るのも事実である。明治期にアララギ派歌人が写生短歌を主張し、それ以前の和歌から近代短歌として新しい短歌の時代を拓いてきた。その表現は文語体旧仮名で作ることを是とし、深い趣きのある表現が至上とされてきた。
 しかし戦後七十年以上通常の社会ではほとんど使用されなくなった旧仮名や文語体は、熟練の歌人にしかなかなか理解されにくくなってきた。作者はまだ短歌の初心者であるが、勇気を持って新しい短歌の表現を模索していると評価したい。

黒豆と古代米まぜ炊きし飯(いい)
 夕餉を囲み薄紅愛でぬ

清水 美智子


●古代米を広辞苑で調べると、稲の原種の特徴を受け継いでいると推測される有色素米などの総称とある。近年の健康食ブームにより、スーパーの食料品売り場にも雑穀米などと共にくだんの古代米も販売されていることが有るのだそうだ。
 黒豆は正月のおせち料理に「一年間マメに暮らせるように」と欠かせない物だが作者は古代米にその黒豆を入れてご飯を炊いたのである。
 筆者は以前普通の米に黒豆を入れて炊いた「黒豆ご飯」を食したことがあるが、黒豆の皮から抗酸化作用があるポリフェノールが溶け出し、ご飯を薄紅色に染めて桜餅に似た美しい色のご飯が炊けていたのを思い出した。
 作者はご家族でその夕餉に、ポリフェノールたっぷりの黒豆入り古代米のご飯を炊き、一家の健康と明るい家庭を食卓の話題にされていたのであろう。表出歌には家族の皆様の笑顔まで感じさせられ、下の句が的確で一首を引き締めている。

息白し春光待たるる淡雪に
 足跡残し小鳥さえずる

千葉 二朗


●この歌を提出されたのは二月の中旬で、立春を過ぎたとは言えまだ寒さが残り、作者の住む広島県南東部の比較的温暖な街でも、時折降った雪が道端や野山に薄らと積もり、その中に春を待ちわびている様子を短歌に詠まれた。
 この冬は近年温暖化と言われている割には降雪が多く、岡山県北のスキー場では若者が押しかけ、久々の賑わいになると予想されたが、ここでもコロナ禍による三密や人流の規制が働いた為か、スキー場のコンディションは折角良かったのに人出は少なかったようだ。
 さて表出歌であるが、朝の吐く息がまだ白く耳が寒さで痛く感じるような日だが、余寒が長ければ長いほど春の温かさを未だかまだかと心待ちにするものである。ここでの小鳥は尉鶲(ジョウビタキ)だったようで、比較的人を怖がらず近寄っても慌てて逃げることはない。小鳥の囀りが春を呼ぶように感じられる早春賦である。



今月の短歌

雪女 
待ちゐるやうな 
冬木立 
ぽつねんと佇(た)つ 
真っ白な丘

矢野 康史



矢野康史さん プロフィール
あさかげ短歌会津山支社代表。全国あさかげ短歌会代表。津山市西苫田公民館と一宮公民館の2カ所で短歌教室を指導している。津山市文化協会副会長。

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