アットタウンWEBマガジン

@歌壇

2022年09月14日

短歌への誘ひ


田は預け畑を守る日々なるも
 近所の扶(たす)けあればこそなり

萬代 民子


●作者は山間の農村部にご主人と死別されたのち、一匹のワンちゃんと暮らされていて、ご高齢ではあるが毎日畑に出て野菜作りをされている。
 掲出歌に有るように、以前は稲作もされていたようだが、現在は田圃は預かって貰い、家の傍の畑のみ守っているというが、それもご近所の皆さんが毎日のように声を掛けてくれて、獣害などの悩みを色々と手助けしてくださるのだそうだ。
 過疎の山村では殆どが高齢者、しかも独居者が細々と生活されている。この国の至る所に日本昔話に出てくるような、あちらにポツリ少し離れてポツリと夜ともなると小さな灯りがともり、長閑ではあるがペットの犬でもいなければとても寂しい。
 この歌の作者は、ご先祖様から預かった田畑を気丈に守り抜いていたが、寄る年波には抗えず、今では家の傍の畑のみ守って野菜作りをしているのだが、下の句にあるようにご近所の扶けに感謝しながらの生活詠がよく表現されている良歌である。


帰省せし孫ふり返り二度三度
 我に手を振る道遠くまで

花村 輝代


●お盆での孫の帰省を詠まれた歌であろう。この歌から察するに帰省していた孫が帰っていく場面なのだろう。
 昨今、コロナ禍で盆正月の帰省まで制限されていて、子や孫の帰省を心待ちにしながら故郷を守っている父母や祖父母は、大勢が寂しい思いをしていたと思う。
 今年はコロナ禍の心配はさておき比較的に人流の規制が緩和された所為もあり帰省する多くの人たちの車や列車の様子が報道されていた。
 作者は久しぶりに孫の顔が見られ夢のような時間が持てたのであったが、また街に帰ってゆく孫を送り出さなければならない。「また帰ってくるからね。それまで元気でいてね」そんな孫の声が上の句の「ふり返り二度三度」という表現に含まれている。そして下の句の「我に手を振る道遠くまで」きっと作者は涙ぐんで見送っているであろう情景がこの一首の中に詠み込まれている。家族の情愛を表現されて良歌。


グラビアで見し天の川来年は
 二人揃いて夜空を見よう

河原 洋文


●作者は短歌を始める迄は、天体にも花の名前にも興味が無かったと言う。一般的な男性は特別にそう言った関係の職業に就いてない限りは、ほとんどの方がそうであるような気がする。筆者自身もご多分に漏れず短歌を始める迄は空を見上げる事も、花を愛でる事も桜の花見に行く程度であったので作者の気持ちは良く分かる。
 ところが、私も短歌を始めてからは、花が咲いていれば名前は何だろう?とか月の満ち欠けや星座の名前、四季の移ろいなどの日々の変化や自然の営みなどが、妙に気になり辞書や図鑑・グラビアなど手当たり次第調べてみたくなったものだ。
 この歌の作者も、今まで仕事一途でそういった雑事にほとんど気にするゆとりを持てないでいたが、短歌を始めると七夕の行事や「彦星と織り姫」の天の川を挟んでの逢瀬などに不思議と思いが及びグラビアに出ていた「天の川」の写真を眼にしたのだ。下の句に、今まで誘った事もなかった妻へのお詫びの気持ちが表現され良歌。



夏闌(た)けて樹下の斜面(なだり)に艶つやと
 黄レンゲショウマ数多咲き初む

清水 美智子


●この作者は女性歌人の多くがそうであるように、やはり花の歌が多いように思う。特に、以前にも紹介させて頂いたと記憶しているが、彼女は無類の山ガールである。
 常日頃から近所の山や、友人たちと季節きせつの花が咲いたと花便りが届くとジッとして居られない。フットワークの良さも彼女の健康と歌心を伸ばしている。
 筆者は残念ながら未だ、黄レンゲショウマなる花に出会った事が無く、例の如くネット検索で初めてこの「黄レンゲショウマ」を知った次第で、誠に知識の無さを恥じ入るばかりである。ネット画面で見る限り、この歌に表現されている通りだ。
 夏がいよいよ深まって木下の斜面に筒咲きのツヤツヤと少し肉厚の五弁花が沢山咲き初めている。この一首無駄な表現が無く端的に作者が目にした情景を余すところなく伝えようとしている。おそらくこの「黄レンゲショウマ」を見るためにこの山に登ってきたと思われる。出会えた時の作者の弾けるような笑顔まで伝わり秀歌。


今月の短歌

父さんが
逝(い)ってしまった
日のように
線香花火の
菊玉ぽとり


矢野 康史



矢野康史さん
プロフィール

あさかげ短歌会津山支社代表。全国あさかげ短歌会代表。津山市西苫田公民館と一宮公民館の2カ所で短歌教室を指導している。津山市文化協会副会長。

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