@歌壇
粒揃いの玉蜀黍(とうもろこし)は富良野より
今年も届き甘さ格別
河原 弘子
●作者は友人も多く交際範囲の広い明るい方である。筆者も北海道の富良野で実際取れたての玉蜀黍の試食をした経験があるが、確かに「甘さ格別」であった。今年も届き、とされているのは心待ちにされていた喜びの間接的比喩と取れる。
短歌への門を叩かれたのは、ご主人が短歌に興味を持たれ「一緒にやらないか?」と誘われたからだとお聞きしたが、なかなか勉強熱心で隔月届く短歌誌約六十ページを最初から最後までキチンと全首読まれ、間の小論や「会員の窓」等各地からの報告も隈なく目を通し、読めない漢字の箇所や判らない表現の歌には、必ず付箋を付け(最初の頃は五十か所ほども)筆者に電話で尋ねてこられるので、上達も早く会での様々なお世話も先頭に立ってやられ、将来津山支社のリーダー候補である。
さて掲出歌であるが、伸びやかで何の衒(てら)いもない素直な表現で一首纏められていて、未だ初心者の感は有るが非常に分かり易い好感の持てる歌である。
蕾より散り菊に咲くたまゆらの
花火に重ね見ゆる夏の日
初岡 勢津子
●この短歌は少し解説を要する歌である。この歌の作者は非常に鋭い感覚を持たれているのだが、それを短歌の三十一文字で如何に表現すれば人に巧く伝えることができるのか? 未だそこのところが勉強中なのだ。ただ、有望株の方ではある。
この歌の場合、一句から三句の上の句を読まれて鑑賞される人に、状況が上手く伝わるだろうか? 蕾? 散り菊に咲く? たまゆらの(瞬間の)? 瞬間に咲く菊か? 下の句で、花火に重ねとあるからド~ンと上がる大きな花火が瞬間に菊の花のように見えるのを詠んでいるのか? と。実はそうではない。これは線香花火なのだ。
線香花火は、最初火をつけて火玉ができるまでを「牡丹」、そのあと火が大きく飛び出して「松葉」、少し火が垂れ下がってきたら「柳」、そしてもう一度少しだけ勢いを盛り返す「散り菊」になり最後ポトリと落ちる。この歌のままでは伝わり難い。「蕾より散り菊に咲くたまゆらの線香花火に人生(ひとのよ)重ぬ」とされたら如何だろう。
淡たんと三十一(みそひと)文字を綴りたる
我が人生の心の軌跡
岸元 弘子
●作者は我が「あさかげ短歌会」の司会も熟(こな)される、中堅歌人のひとりである。作歌歴もおそらく十年は越えられたと認識しているが、常に会の運営の為に協力を惜しまない方で、今後も津山支社にご尽力をお願いしたいと思っている。
掲出歌にもその性格が表れているが、いつも物静かで淡々として慌てた姿をほとんど見たことがない。今まで生きて来られた中には(筆者も詳しくは存じ上げないが)人並みには、あるいはそれ以上のご苦労もお有りになったと思われるが常に飄ひょうと生きて居られる。それを感じさせる短歌でもある。
しかし、彼女が時として情熱的な相聞歌を詠まれることがあり、普段見せないが内面に秘めた女性の燃えるような恋心を三十一文字に託す試みに、筆者はいつも期待して止まない。この歌に示されているように、短歌は人生そのものでもあろうが、彼女の心の軌跡であり、誰しも思い描くことが有る心の裡(うち)なる轍(わだち)なのである。
光さす紅(べに)色映(ば)える曼殊沙華
薄ら寒(ざむ)さにまほろばをみる
千葉 二朗
●今年の晩夏は殊の外残暑が厳しかったが、先の台風が去った後は急に朝夕が涼しく秋めいてきた。あまりの残暑に今年は曼殊沙華が咲くのが遅れるのでは? と心配していたが、季(とき)知らせの花というのはほぼ時期をずらさず咲くものである。
三日前なかった畔にによっきりと
彼岸知らせる曼殊沙華の赫
これは筆者の拙歌であるが、この花は急に茎が伸びてきてあっと思う間に真っ赤な花魁(おいらん)の簪(かんざし)を思わせる少し派手な花を咲かせて驚かせるときがある。
さて掲出歌であるが、作者はなかなかの技巧をこの歌に鏤(ちりば)めて作られている。短歌の場合濁点を嫌う鑑賞者が多いと聞くが、作者は敢て「濁点」の韻を踏む歌に挑戦されている。紅(べに)色のべ、映(ば)えるのば、曼殊沙華(まんじゅしゃげ)のじゅとげ、薄ら寒(ざむ)さのざ、まほろばのば、の六ヶ所である。素晴らしい試みに挑戦されたと感心した歌である。
ただ、ここまでやられるなら「光さす」を「光(かげ)させば」とされれば又二個増える。このように「韻(いん)」を踏むという言葉遊び的な短歌は古来より詠まれており面白い。
今月の短歌
戸を開けば
異次元の世に
移動(ワープ)する?
ピンクのドア立つ
公園の丘
矢野 康史
矢野康史さん プロフィール
あさかげ短歌会津山支社代表。全国あさかげ短歌会代表。津山市西苫田公民館と一宮公民館の2カ所で短歌教室を指導している。津山市文化協会副会長。